コンテンツを作成する上で作成する人の「気力」というのは非常に大事です。
結局のところ、コンテンツに魂が宿るかどうかはそれに関わるものの気力に左右されるように思います。
「気力」はやる気と言い直すこともできますが、私が思うに「気力」とは、もっと広い概念でその人の健康状態を含むエネルギーのようなものだと思っています。
コンテンツを作成する上で作成する人の「気力」というのは非常に大事です。
結局のところ、コンテンツに魂が宿るかどうかはそれに関わるものの気力に左右されるように思います。
「気力」はやる気と言い直すこともできますが、私が思うに「気力」とは、もっと広い概念でその人の健康状態を含むエネルギーのようなものだと思っています。
誰しも経験があると思いますが、勉強をしだすと途端に結果が出せなくなることがあります。
おそらく、それは今までなんとなく感覚に頼っていたものに「知識」が組み合わさることで勝手に複雑化してしまい、物事を素直なめで見ることができなくなってしまうことから起きるのだと思います。
だから、現場レベルで仕事を見た場合、一概に勉強することが良しとは私は思わないのです。
そして私がSEOは勉強してはならないと言う所以はそこにこそあります。
どのような業界、業種についても言えると思うのですが、面白いことに一定の確率でビギナーズラックは存在します。
つまり、何も深く考えずにやってみた結果、期待していた以上の結果に結びつくと言う不思議な現象のことです。
そして、これもまた不可思議なことですが、特定の状況でいったんの流れを引き寄せられる人は一定数存在するものです。
ただしこのビギナーズラックが厄介で、それを頼りにしぎると本来あるべき方向性を見失いかねません。
(ビギナーズラックとは「初心者が得る幸運のこと」です)
私は、人にものを伝えるということは、ある種の翻訳作業だと思っています。
ただ、この翻訳作業というものはたいへん骨の折れる仕事で、正確にものごとを伝えるのは難しくとても悩ましい行為だといつも感じています。
翻訳について語ろうとするときに私の頭の中に、まず真っ先に浮かぶのが明治時代に活躍した文明思想家の岡倉天心(1862〜1913)の「茶の本」の中の下記の節です。
翻訳というものは常に裏切りでしかない。あるいは、明のある作家が言ったようにせいぜい良くて錦の裏側でしかない。糸は織られているのだが、微妙な色や模様が抜け落ちてしまっているのである。とはいえ、つまるところは、偉大な指導で簡単に説くことのできるものなどありはしないということだ。
角川ソフィア文庫 訳:大久保喬樹
私は作家や小説家ではありませんが、いわゆるものを書いて伝えるということを大事な仕事の一つにしています。
そして、ものを書いて伝えるということは本当に日々体力を消耗します。
デスクに座っているだけで、大きく体を動かしているわけではないから、そこまで体力が消耗するわけないだろと多くの方にお叱りを受けることが想像されますが、いやいや、これが本当に体力を消耗する営みなのです。
小説家の村上春樹さんは著書「職業としての小説家」で小説を書くという仕事のことを「どこまでも個人的でフィジカルな営み」と表現していますがまさしく言い得て妙で、その言葉の通りだと私も思います。
その言葉に出会ったときは、どこか救われる思いがしました(私は小説家ではありませんが・・・)。
何か心の中でつっかえていたものをうまく表現できる言葉に出会えたという喜びと、30年以上文章を書くことを生業にしている村上春樹さんでさえも同じような思いを抱いておられるのだという心地よい安堵感と、何か深い部分で繋がっているのだという不思議さに少なからず身震いしたことを覚えています。
私は、ウェブ上にコンテンツを作成する時に、たいていの場合かなりの時間をかけて1つのコンテンツを作ります。
さらっと書いたように見える些細なコンテンツでも、何度も何度も繰り返し読み直したり、あえて時間を置いたり、今作成しているコンテンツと距離をおいたり、近づいたりしながら、執筆を進めていきます。
話の流れはおかしくないか、テンポは、リズムはどうか、何より相手にわかるようなものになっているかどうか。
いろんな角度、方向性からコンテンツをチェックしていきます。
時間をかけるには、時間をかけるなりの意味があるからです。
私は、同業者とお会いする時にその方の言うことに「共感」できるかどうかを一つの物差しにしています。
「共通体験」として、深く共感できることが多ければ多いほど、その方を信用しますし、逆に共感できない部分ばかりだったり、共感できる部分が浅ければ、その人の言うことを信用することはありません。
それはビジネスに限ってのこともありますし、それ以外のこともあり、残念ながら一度きりしかお会いすることがない人もいます。
「共感」できることがないと言うことは、仕事を通して「共通の体験」をしていないと言うことであり、その人の発する言葉に何かしら「嘘」が含まれている可能性があるからです。
Macには予測変換機能があり、長年Macを使っていると予測変換機能がおかしくなってくることがあります。
これまでは、Macの予測変換機能がおかしくてもあまり気にならなかったのですが、最近なぜか「2」と入力したら「3」として予測変換されてしまったり「1:」と入力しているのに「−」と予測変換されてしまったりと(そんな風に入力した覚えが無い)ストレスがたまるような不具合が多くなってきてしまいました。
極め付けは「Macの」と入力したのになぜか「見られ」と予測変換されてしまったことです・・・なぜ(笑)。
今までは多少の不具合ならばと我慢に我慢を重ねていたのですが(笑)、いよいよこのありえない予測変換がタイピングの精度や速度に支障をきたしはじめたので予測変換機能をリセットして、正常な元の状態に戻すことにしました。
私のように、Macの予測変換に困っている方がいらっしゃるでしょうから、今回はMacのおかしな予測変換機能をリセットしてストレスフリーでタイピングできるようにリセットする方法についてお伝えしていきます。
スマホやデジカメで撮影した写真は「位置情報機能」にをオンにしていた場合、撮影した地点の「位置情報」が「Exif情報」として自動的に写真に記録されます。
撮影時に記録された「位置情報」を含む「Exif(イグジフまたはエグジフ)」情報は表向きは見ることが出来ませんが、実は写真とともにしっかりと記録され、パソコンなどに取り込んだ際、後から撮影時の場所や撮影された時間、どのようなデバイスで記録したのかなど細かい情報を簡単に閲覧できるように記録されています。
そのため不特定多数の人に撮影した写真を公開したり、撮影した写真を共有する場合は、自動的に記録された「位置情報」から「特定されたくない場所の住所」までも特定されてしまう恐れがあり、プライバシー保護の観点から写真の取り扱いには注意を払う必要があります。
特に悪意を持った第三者の手に情報が記録された写真が渡ってしまった場合は悪用される恐れもあるので、撮影した写真を不特定多数の方に向けて公開する場合はプライバシーに関わる「Exif情報」をしっかりと削除してから公開するなどが必要になります。
ただし2021年4月現在、主要SNS(Facebook、Instagram、Twitter、LINEなど)に投稿する際は、投稿時に自動的にプライバシーに関わる「Exif情報」を削除してくれるので気にする必要はありません。
問題なのは個人的なブログやウェブサイトに写真をアップする際です。
撮影した写真をそのままブログにアップしてしまうとExif情報が記録されたままになるので必ずExif情報を削除してからアップするなど注意を払う必要があります。
今回の記事ではExif情報の削除の仕方や確認の仕方をお伝えしていきます。
あまり知られていませんが、あなたのiPhoneは設定をオフにしない限り位置情報を取得し続け、行動履歴を端末に残し保存しつづけています。
テレビのニュースなどで、特定の地域の週末の人が増えたり減ったりと聞くことが多いかと思いますが、これは端末に搭載されている位置情報からどれくらい人が増えたのか減ったのかを拾い統計をとって表示しています。
「位置情報」という言葉自体はよく聞きますし、何となくiPhoneに位置情報があること自体は知っていたけれども、それがどのようなものなのかは知らず、深く考えていなかったという方も多いのではないでしょうか。
しかし、位置情報は便利な反面、あなたの自宅や職場を知られてしまう恐れがあるなどトラブルに発展する危険性もはらんでいます。
今回はそんな位置情報について、位置情報機能の使い方をはじめ、利用する上で注意したほうが良い点、メリットとデメリットなどの記事をまとめてお届けしていきます。
※最近ではドラマ「天国と地獄」で「位置情報」の綾瀬はるか演じる望月彩子と高橋一生演じる日高陽斗の会話の中で位置情報取得サービスの話題が取り扱われており、その存在が広く一般に知られ、この機能の注目度が上がったように思います。
iPhoneの位置情報は個人を特定しているわけではないので、普段使う上では特に気にしなくてもいいかと思いますが、常に監視されているようで何だか気持ち悪いと思っている方も多いはずです。
今回は、位置情報サービスについて詳しく解説し、理解することで必要に応じてオンとオフをする方法をお伝えしていきます。