人は何でもかんでも細かい説明を求めるし、その理由を知りたがりますが、なんでもかんでも言葉にできるわけではありません。
言葉にできない、わからないけれども確かにそこに漂う雰囲気としての「何か」をその道のプロは大切にするし、残念ながら全てを言葉にして伝えられるわけではないのです(言葉はその現象を彩る後付けに過ぎません)。
昔は職人の仕事は親方の仕事を見て、それをまず真似てみて、なぜ、その所作に意味があるのかを自らの頭で考え、何度も何度も繰り返し鍛錬を積み、その意味をしり、経験を蓄積し、少しずつ時間をかけてその「筋」を理解していったと言います。
それを昔の人は「まねぶ(まねる)」つまり「学ぶ」と言いました。
側から見れば単純に見えるようなことでも、その一つ一つの所作は言葉にできるほど単純ではないし、それほど、プロの仕事は見えないところで非常に緻密に計算されており、それも感覚的な「ワザ」が多いのです。