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プロの仕事について思うこと【プロの仕事に共通して見られる哲学について】

人は何でもかんでも細かい説明を求めるし、その理由を知りたがりますが、なんでもかんでも言葉にできるわけではありません。

言葉にできない、わからないけれども確かにそこに漂う雰囲気としての「何か」をその道のプロは大切にするし、残念ながら全てを言葉にして伝えられるわけではないのです(言葉はその現象を彩る後付けに過ぎません)。

昔は職人の仕事は親方の仕事を見て、それをまず真似てみて、なぜ、その所作に意味があるのかを自らの頭で考え、何度も何度も繰り返し鍛錬を積み、その意味をしり、経験を蓄積し、少しずつ時間をかけてその「筋」を理解していったと言います。

それを昔の人は「まねぶ(まねる)」つまり「学ぶ」と言いました。

側から見れば単純に見えるようなことでも、その一つ一つの所作は言葉にできるほど単純ではないし、それほど、プロの仕事は見えないところで非常に緻密に計算されており、それも感覚的な「ワザ」が多いのです。

仕事としての筋をとらえることで自由になる

それは、一種の「曖昧さ」や「ゆとり」のようなものと言ってしまってもいいと思います。

ようは中心となる「幹」の部分をきちんとおさえておきながら、「枝葉」の部分は自由にすると表現してもいいのかもしれません。

完全に自由ではないけれども、そこにはしっかりとした「道」があり、「筋」をとらえ「道」をそれないように、けれども自由に表現していくのがプロの仕事なのです。

言葉にすれば、もしかしたらそれを「型」というのかもしれないけれど、「型」よりももっと本質的な「揺らぎ」や「流れ」のような「柔らかいもの」だと私は思っています。

 

だから、プロの仕事には本質的にはマニュアルのようなものは存在しません。

マニュアルはどちらかというと「かたさ」が目立ちます。

プロの仕事はどこかに「遊び」があるものだし、そこには「柔らかさ」が存在します。

昨今の流れなのかマニュアルのような「確かなもの」を求める人が多いですが、プロの仕事には本質的にはマニュアルは存在しません。

プロには誰しも経験の蓄積からうまれた「マニュアルのようなもの」はありますが、絶対的な「1+1=2」のようなマニュアルは存在しないのです。

だからプロの仕事は「1+1」が「3」になったり「10」になったりします。

 

ただプロの仕事には規定のようなものはあるように思います。

「基本」とは違います。「規程」です。

「規定」とはプロなら誰もが持ちうる物事を判断する上で拠り所となったり核となる「哲学」のようなもので、それまでの「経験の蓄積」から成り立つ「何か」です。

ようは経験によって蓄積された「センス」と言っても良い。

天才は何もしなくても「センス」を持ち合わせていますが、築き上げたプロの「センス」は「経験」や「知識」の「蓄積」または「集積」から生まれるものなのだと私は解釈しています。

 

人は「個」である以上同じ経験を蓄積することはできません。

だから、同じ業界であってもそれぞれの立場やそれぞれの思想、考え方によって「規定」は変わります。

物事の「筋」に辿りつくまでの「道」のりは違うものだし、それまでに蓄積される「経験」も違うものとなります。

でもここが面白いところなのですが、不思議なことに、プロと呼ばれる人たちはそれぞれが共通して同じように持っているものがあり、通底して流れる「何か」があります。

「何か」が「何か」であるのかは私の語彙力では言葉にして伝えることがなかなか難しいです。

村上春樹の小説やエッセイにも書かれてあったように思いますが(ずいぶん前の事なので細かいことは忘れました)、ビジネス的に頭の良い人やキレのある人は簡単な言葉で伝えられるのでしょうが、私にはどうも簡略化して伝えることができない。

だから小説家が小説の中で物語を通して雰囲気として「何か」を伝えるように、私も長い言葉を通して雰囲気としてその意味を伝えることしかできません。

それらを彩る言葉はたくさんあっても、本質的な部分で「何か」を簡略的にとらえる言葉が私にはないのです。

>>>仕事人としての「共感」と「苦悩」について

※通底する「何か」については下記の記事でも触れたとおりです。

>>>謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなっている時代の流れと物事の本質について

 

確かなことは言えませんが、プロと呼ばれる人たちはどのような業界、どのような仕事であっても結局は「同じところ」にたどり着くような気がします。

「戻る」と表現しても良いくらいです。もともとバラバラになっているものがプロになることで皆同じ場所に戻っていくようなそんな不思議な感覚を覚えることがあります。

運命の悪戯か、知らずともそこに向かっていると言ってもいいと思います。

意図していないのに、何故かみんなそこに引き寄せられていると言ってもいいでしょう。

2つほど例をあげましょう。

例えばファッションの業界ではお洒落に見せるためのテクニックとして「統一感」が求められます。それは生地などの素材の違いから始まり、織り方の表情の違い、パターンの引き方、縫い方、デザイン、サイズ、シルエット、カラーなどの組み合わせで、それこそ数え切れないほどのパターンがあり「魅せ方」があり奥が深いものとなっています。

SEOの業界でも同じように全体としての「統一感」が求められます。そしてそれはコンテンツを作成するための素材選びからはじまり、タイトルの付け方、話の流れ方、文体、表現の仕方、細かい部分での見出しの書き方、言葉の使い方などここではあげられないほど様々とあり同じようにパターンや「魅せ方」の違いがありこれもまた奥深いものとなっています。

また、お洒落はセンスだと言いますが、センスは経験や知識の蓄積によってうまれます。そして、本当にお洒落な人は洋服は道具に過ぎないと考えており、何よりもまずそれを扱う素材である「人の中身」が大事だと言います。

それに、お洒落は頑張りすぎると、頑張りすぎ感が出てしまい、かっこいいと思ってもらえなくなり逆に人に不快感を与えてしまうこともあります。

「過ぎたるは尚及ばざるが如し」何事もほどほどが大事なのです。

つまり全体を通しての「統一感」は大事だけれども統一しすぎるのも相応しくない時もある。

例えば、軍モノが好きだからと全てのアイテムを軍モノで揃えてしまうと「軍隊か!」みたいな装いになってしまいかたさが目立ちますし、デートだからと息込んでしまいスーツなどキメッキメで揃えてしまうと「え?これから仕事?」と言ったように逆に場にふさわしくない格好になってしまったりします。

だから基本を押さえた上であえてハズしてあげたり、装いとして「場」と調和するような服装をすることがお洒落をする、お洒落に装う上では大切になってきます。

いくらかっこいいからと言ってキメっキメのスーツで山登りをすると逆に浮いてしまい、カッコよくはなくなることは容易に想像できることだと思います。

逆に場に相応しくない格好をしてしまうと、ある種の「怖さ」や「恐ろしさ」、「恐怖感」を周りの人に与えてしまいます。それはお洒落とは呼べません。周りの人に対する気遣いや心遣い、ひいては配慮が足りないからです。

お洒落に装うのであれば、まず第一にその場に応じた装いを考える必要があり、何よりもまず「場」に馴染むことが大事になります。

はじめに「場(人、場所、目的)」があり「場」にふさわしい格好をして基本をおさえた上で、さりげなくちょっとした変化をつけることでお洒落に仕上げていくのです。

そしてそれらの集積、ちょっとした違いの積み重ねが全体としてのエレガンスさにつながり、纏いすぎるのではなく引き算をし余計なものをできるだけ取り除いてシンプルに装うことが、どこか余裕のある大人な印象を人に与えていきます。

 

SEOでも基本的な考え方は同じで、大事なのは経験や知識の蓄積によって生まれるセンスです。そしてやはりファッションと同じようにSEOも「素材」を引き立てるための道具に過ぎません。

SEOを考える前に何よりも「コンテンツ(内容)」が大事になりますし、それを扱う「人の中身」も同じように大事になります。

そしてSEOもやり過ぎは良くないし、やりすぎるとかえって不自然でしつこく感じてしまいます。

SEOもファッションと同じようにさりげなさが大事です。

派手にガッチガチにSEO対策と称して装ってしまうとかえって不自然になり、「場」に馴染まなくなり「違和感」や「恐ろしさ」を感じてしまい人は離れていきます。

もちろん、なじみすぎも良くないですが、馴染むことは大事ですし、相手(ユーザー)のことを考えた装い(コンテンツの構築)が必要であることも変わりません。

つまり、基本をしっかりと押さえた上で、サイトごとにさりげないちょっとした変化をつけることでサイトがお洒落になっていくのです。

そうした意味で言うとサイトデザイン(WordPressで言う「テーマ」)は洋服のようなものかもしれません。

すごいギミックを使っているのに中身がペラペラだと「中身がない人」のように思えるからです。

また、ものすごく専門的なことを言っているのに、言葉遣いが乱暴であったり、「場」に相応しくない砕け過ぎた言葉づかいをしているとそれだけで信頼感が損なわれてしまいます。

サイトもファッションも同じように、その場に応じた言葉遣いや雰囲気、装いが求められるのです。

またファッションと同じようにSEOにも全体的なトレンドや流れというものがあり、その流れに合わせていくことも大事です。

けれども流行に乗っかりすぎるのも良くありません。

市場が熱狂状態にある場合、詐欺の発生率と複雑性が急激に増す」でもお話ししましたが、市場が熱狂すると必ずそこに便乗してあなたの大切なお金を毟り取るような輩が現れます。

そして養分を吸い尽くした上で何事もなかったかのように去っていきます。

だから流行はおさえておく、知っておくことは大事であるものの、決して流行に流されることはせず、自分自身のスタイルをしっかりと確立しておく必要があるところも一緒だと言っていいでしょう。

「筋」を知った上で、「流れ」を読み、全体的な変化に合わせて整えていくことが求められます。

 

次に、例えば料理は「素材」が大事だと言います。そして「素材」をいかにして活かす料理をするのかが大事だと言います。調味料は「素材」の味を引き出す、もしくは引き立てるために使います。

SEOの世界でも「素材」がまずあって、それを活かすコンテンツを作成することがまず前提となりますし、素材を活かすために隠し味としてパパッとSEOを忍ばせていきます。

素材を煮るのか、焼くのか、どれくらい時間をかけるのか、それによって完成された料理の味わいは大きく変わります。

ちょっと視点を変えるだけでまるで変わった味わいの料理になるところもSEOと一緒と言ったところでしょう。

※SEOはコンテンツに深みを与える隠し味のようなものです。それについては下記リンク先の記事でも同じようなことをお伝えしました。

>>>アントニオ・ガウディ曰く「独創性とは起源に戻ることである

 

ここで例にあげた2点(ファッションと料理)はやっていることは違いますが、「哲学」として底に流れるものは一緒です。

なんとなく雰囲気をつかめていただけていたら嬉しいのですが、そこに確かに流れる通底する「何か」があります。

だからおもしろいし、あらゆる業界のプロの方とお話しすると直感的に何か感じるところがあるのだと思います。

私はまだ道の途中で、この道を極めたとは言えませんが、その途中であっても、そこに共通して感じる「何か」がある。

目に見えたり言葉にできる範囲での表面上の「哲学」は違っているように見えても、目には見えない言葉にできない底にある部分での本質的な「何か」は同じで、だからこそその道のプロとして話すときは、言葉を交わさなくとも、不思議な繋がりや充足感を感じられるのだと思います。

それは追い求めれば追い求めるほど、近くなったり遠くなったりを繰り返しているように感じますが、多くの業界のプロに恥じないようこの道を信じて突き進んでいきたいという思いが、今の私を動かしています。

 

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私は何もマニュアルを否定しているわけではありません。

マニュアルは必要なこともありますし、物事の「筋」や「基本」を学ぶためには必要なものです。

マニュアルがないと些か自由すぎるし、はじめの段階ではマニュアルではなくても、「マニュアルのようなもの」が必要になることは確かです。

どのような仕事であれ、マニュアルのようなものがないと訳が分からなくなってしまい空中分解を起こしてしまいますから。

だから、どんな仕事でも「基本」や「基礎」を学上でのマニュアルのようなものは大事です。

基本や基礎がしっかりとしたものでないとその上に、しっかりとした「ワザ」を築くことはできません。

どのようなプロでもマニュアルまたはマニュアルのようなものを大事にしてきた時期がありますし、それなしでは仕事は成り立ちません。

念のため誤解のないように付け加えておきます。

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まとめ

SEOでもファッションと同じように引き算をし、できるだけシンプルに装うことが最終的には大事になってきます。

SEOという小物に頼らなくても、ユーザーから選ばれるサイトに育て上げる。

SEOに頼らないSEO、中身で勝負するシンプルなSEOが、私が考えるSEOの最終的な出口です。

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