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恩人の死について思うこと

心の整理ができてきたのでようやくかける。

どこかで書かなくてはならないと思っていながらも、何故だかわからないけれども書くことができず、引き延ばし、引き延ばし、今になってしまった。

僕は書くことで心を整理している節があるので、この話は僕の中でなかなか整理し難く、また理解し難く、もしかしたら心のどこかで認められない事実だったのかもしれない。

でも今、こうして書く気になったということは、ようやく僕なりにそこかしこに散らばった気持ちを整理し、けじめをつけようと思っているのかもしれない。

自分の気持ちさえわからず、それは憶測でしかないけれど。

実は、今年に入ってから僕の恩人とも言えるかたが亡くなった。

僕に仕事とは何かを教えてくれた数少ない方の一人だ。

その人は、今の仕事とは関係ない、ひょっとすると僕の人生においておよそ関わりを持たない可能性が高かった人であり、もしかしたら僕と関係を持つことなく、その他大勢の人のように静かにサヨナラをしていく一人だったかもしれない人だ。

僕がこの先の人生をどう生きて行こうかと必死に考えている時に、僕に仕事とは何かということを示唆してくれた。

つまり今の僕の考えを持つようになったきっかけをつくってくれた人とも言える。

そんな僕という一人の人間を構成する人がなくなってしまったのだから、僕にとっては本当に言葉には言い尽くせないほどの悲しみであったのだろうと思う。

いまだに思う。

「ああ・・・もうこの世にはいらっしゃらないんだな」と。

でもどこかでお別れを言わなくてはならない。

「さようなら」と。

これはそんな僕の個人的なお話だ。

 

僕と先生の出会いは、インターネットでものを検索していた時だったと記憶している。

調べ物をしていた時にたまたまGoogleの検索エンジンに引っ掛かったのだ。

(普段は検索エンジンの質について疑問に思うことが多いけれど、こうしてみると案外Googleも悪くないなと思うと思う)

先生はいわゆる職人だった。

そんな職人が熱心に情報配信をしていることに興味を持ったし、それまで職人の世界の方とは関わりを持たない人生だったので、その職人の生き方に非常に興味を持った。

背中で語り技をふるい磨き続ける道の途上にある言葉を語る必要のない職人が、なぜ熱心に言葉を伝えているのか、何を伝えようとしているのか、その言葉の背景にあるものは何か、僕は非常に関心があったのだ。

その仕事に興味を持つことから始まり、先生にコンタクトを取り、実際に仕事を見せてもらい、また仕事の一旦を体験させてもらうことになった。

 

検索エンジンでその仕事についていくつか引っ掛かった中で、なぜ先生を選んだのかははっきりと記憶していない。

ただその仕事に興味をもち、仕事を見せてもらうだけであれば近くの工房を訪ねることができたし(実際近場の工房がたくさんヒットした)、わざわざ県を跨いでまでして車で見知らぬ土地に出向く必要などなかった。

単なる直感だったのかもしれないし、ちょっとした気まぐれだったのかもしれない。

その仕事、その業界については全くの無知であったので、非常にフラットな目で業界を見渡せたことが大きいのかもしれないし、熱心に情報を発信されている姿に興味を持ったからかもしれない。

いや、もしかしたら、そこに書かれてある言葉から何か切迫したものを感じ取り「行かなくてはならない」というただならぬ気配を感じ取ったからかもしれない。

数多くある人の中から、なぜ先生を選んで訪ねていったのかは正直、理由はわからない。

いずれにせよ、何となくだったと記憶している。

でもいざというときの判断は、頭ではなく心が静かに、確かに反応してくれるものなのだと、今になっては、思う。

 

僕は、先生の仕事に興味を持ったし、その仕事からうみだされる静かな「手仕事」にも興味を持った。

それまで僕の周りにいない性質の人間だったので、世の中にはこんな人もいるんだなと、感じたことは覚えている。

今思うと僕の見ている世界は非常に狭く窮屈で、広い世の中からしたら「ちり」のようなものなんだけれど、その時の僕にとっては普段僕の見ている世界が世界の全てだったし、それが常に現実としてそこにあったから、そう思ったのだと思う。

大変失礼なことだけれども。

お昼時、静かな山里で聞いた鳥の鳴き声や、ストーブの中で薪がパキッと割れる音、遠くから聞こえる軽トラックが走る音、そして訪れる静寂。

心が疲れ切っていた僕にとっては、その全てが心地良く感じられた。

2月という寒い季節に訪れたこともあったのだろうけど、不思議な暖かさに包まれ、いっそのことこのままここにいてもいいやというような気分にもなったし、僕が生きている現実の世界と距離を置きたくなるものがそこにはあった。

もちろん、そこでの暮らしにも現実はあって、実際に住んでみたら新しい現実が生まれるだけで、僕が抱える現実からは逃げることはできないのだけれど、でも、何か、こう、うまく言葉にできないけれど、それを超越したような現実がそこにはあった。

 

結果が全てだ。大事なのは結果だ。

先生はよく言った。

でも・・・と。

ゆっくりと結果は現れます。待つことが大事です。

ともいった。

今の人たちは結果を焦りすぎる。結果は焦ってはならない。それはゆっくりと訪れるものだから。うまく行かないからってすぐに判断してはいけないよ。ゆっくりと積み重ねて行きなさい。その先にあるものを見なさい。

道に迷ったら、振り返りなさい。過去の書物に頼りなさい。先人たちの知恵に頼りなさい。そこに知恵が記されています。

二宮尊徳の言葉を借りれば「積小為大」です。

そして僕の仕事の成分はここからきている。

 

先生はよく書を読む人だった。

学はないけれども(先生はそうおっしゃっていたが、実際はそんなことない。先生を見ていると僕の持っている大学の卒業証書は単なる飾りに過ぎないと思う)書を貪るように読み、その道において大変な知識を持っていた。

僕からすれば、考えられないくらいの知識と知恵を持っていたし様々なことを経験を積み重ねていながら、いまだに仕事についてわからないことが多いというし、迷うことが多いという。いやむしろ毎日のように迷ったり悩んだりしているという。

言葉が示す通り、実際どうすればもっとうまくやれるのだろうということを常に考えている人だった。

ありきたりだけれどお金には執着がないようで、その生活ぶりはとても質素でお金持ちだとは言えない。

いや、言葉を選ばずに言えば貧乏だったし、オブラートに包んでいえば慎ましい生活をされている人だった。

商売っ気がないのではないが、そこまで商売っ気があるわけでもない。

商売よりも、「道」を求めている人だった。

そして晩成はその「道」を、どうすれば後に続く人に伝えていくことができるのかを、模索している人だった。

それもあって、先生は情報を配信していたし、それが先生が生きる意味だったのだろう。

世の中的には「無名」であったけれど、僕のような一部の人にとっては強烈なインパクトを持つ人のようで、僕のように工房にふらっとやってくる者も多いらしい。

実際、僕が通いつめた時も、今まで僕が関わることがなかったような様々な人が訪れていたし、若い人もいれば、老人もいたり、男女問わず、文字通り老役男女が訪れる工房だった。

先生が癌であったのは知っていた。

それもステージ4。末期癌で余命は幾ばくもない。

僕があったときは元気だったし、病気なんておよそ縁がないほど健康的だった。

でも表面に現れる現象とは裏腹に病気は少しずつ、その体を蝕んでいたのだろうと思う。

気がついた時にはステージ4。余命は半年もないだろうと言われたようだった。

僕は僕で、いつの間にか元の生活に戻り、仕事が忙しくなり、工房に足を運ぶ機会が減っていたのだけれど、そんな話を聞いたものだから行かないわけには行かない。

僕は重い足を引きずるようにして先生の工房に向かった。

 

現実を突きつけられたと思った。

先生は痩せ細り、車椅子の肘掛に肘をかけた状態で座り、やっとのことで声を出すという有り様だった。

実際、マイクを使って話していた。

工房に入ると一瞬僕に気がついたようだったけれど、先客がいたので、必死に先客の相手をしていた。

なぜ、ここまでして・・・。

これがその時の、正直な感想だ。

ボロボロになってまでして「道」を探し、生き続ける。

こんな生き方、あるのか。

僕は呼吸が浅くなり、先生と目を合わせることができなかった。

何だか見てはいけないものを見るようだったし、それは僕にとって信じがたい光景だったからだ。

それまでの僕の中では先生はいつも元気でいたし、そこにいなくてもいつも「道」を示してくれる存在だった。

僕の脳内には常に元気な頃の小太りの先生がおり、ことあるごとに「道」を示してくれていた。

それなのに・・・そこに座っていたのはどこの誰とも似つかない、病に倒れた老人の姿そのものだった。

 

先客の相手が終わると、遠くから僕を見て「こっちにきなさい」と言う。

「久しぶりだね」と。「元気かい」と。

そんな状態でも冗談を言う。

おへそをとられてしまったと。

そう・・・先生は膵臓癌だった。

 

帰り道、僕は直感的に先生の命は長くないと思った。

もしかしたら明日、それは訪れるかもしれない。

それほど逼迫したものを感じた。

先生に会うのは今日が最後になるかもしれない。

自宅に戻り開口一番に妻にそう言った。

 

結論から言えば、それから4年、先生は生き続けた。

あれから一時は順調に回復し、けれどもまた再発したりを繰り返し、4年の間、力の限り「道」を生き抜いた。

それからも、何度か先生に会いにいったけれど、痩せ細った体は最後までそのままだった、

 

葬式にも足を運んだ。

状況は仲間からは話を聞いていたし、数年ぶりの再会・・・と言うところだったけれど、僕は先生の顔を見ることができなかった。

何か見てはいけない気がした。

先生は優しい人だったけれど、厳しくもあり、僕の中では「元気な姿のままで」いて欲しかったのかもしれない。

いや、何だか、先生に「こんな姿を見ないでほしい」と言われているような気がした。

 

僕はそれから体調を崩した。

先生のような病気ではないけれど、信じられないほど大きな病気もした。

今まで当たり前だったことが、実は些細なことで簡単に崩れてしまうことを知った。

それまで見ていた世界とは確実に変わりつつある。

きっかけは、それだけではないけれど、それから僕は「死」について考えることが多くなった。

「死」とは言わないまでも、僕が元気でいられる時間はあとどれくらいなのだろうと、よく考えるようになった。

僕はまだ30代半ばだし、いわゆる「終活」について考える年齢ではないのだけれど、「死」が僕のすぐ隣にあるようで、脳裏に焼き付いて離れないことがある。

夜、寝る前、もしかしたらこのまま目が覚めないかもしれない・・・と思うこともある。

世の中がこんな状況で、その全ての負の感情が僕にのしかかってきているように思うこともある。

多分、僕は生物的には非常に繊細で弱い人間なのだと思う。

 

先生が亡くなったのは、よく晴れた日の、澄み渡ったあおい空の日のお昼時だったと言う。

先生らしいなと思う。

その時、いつものように僕は仕事をしていたし何となくその気配は感じていたけれど、それでも必死に生きようとしていた。

予感はあった。

その前後数日、何となく夜中に起きたのだ。

なかなか寝付けず汗をかいた。

そんな最中だったから、何となく予感はしていた。

でも実際にお葬式に参列するまでは現実味がなかったし、本当はどこかで元気で生きていて「全部冗談でした、ちゃんちゃん!」と終わるようなことも期待していた。

ただ、参列まえに亡くなった人の名前の欄に先生の名前を見つけたときは動悸が激しくなったし、実際葬儀に参列するとその実感は音もなく忍び寄ってきた。

涙は出なかった。

あるのは、何となく胸の中にある確かな違和感、息苦しさだけだった。

そして、先生がもうこの世にいないことを実感した。

 

先生へ

先生、ありがとうございます。

先生は何というかわからないけれど、先生から教わったこと、先生の言葉は僕の中で生きています。

晩年はなかなか足を運ぶことができずにごめんなさい。

行こう行こうと思いながら、忙しさにかまけて自分に言い訳をし、何となく先生から自分を遠ざけたい自分がいました。

正直、先生のことが嫌いになった時期もあります。

そりゃ、人間だからいろいろあります。

ここにはいいことばかりをかいたけれど、本当に嫌な人だなと思ったことも数しれず、何だか苦しい気持ちになったこともたくさんあります。

律することは大事だけれど、もっと自由にさせてあげればいいのにと思ったこともたくさんあります。

反発に似た思いを抱いたこともあります。

例えば、僕が先生に内緒でこっそりとネットでお店を出したとき、それを先生が真っ先にかぎつけ、お店をたたむように言いましたね。

先生と何度かやりとりをしましたが、僕は結局ECサイトを閉じました。

僕のやり方が間違っていたのは認めますが、もう少し寛容な気持ちで接して欲しかった。それが僕の本音です。

それ以外にも先生の人生において、本当に僕との時間は短いものだったのかもしれないけれど、僕にとっては僕の人生において必要な時間だったように思います。

ここでは照れ隠しから「だったように思います」と記していますが、本音は「必要な時間でした」です。

語るべきことはそんなに多くはないのかもしれないけれど、先生からは「生き方」を学んだように思います。

あんなになってまでして仕事に生を捧げようとした、あなたの「生き方」を僕は生涯忘れることはないでしょう。

 

実は、語るべきことはたくさんあります。

あれから何をしていたかとか、どれほど先生に感謝しているとか、そうした言葉を伝えることができずに静かに逝ってしまったから、もっと話がしたかった。

もっと先生の話を聞きたかった。

そして、先生に感謝の気持ちを伝えたかった。

でもそろそろサヨナラをしなくてはいけないのだと思います。

 

僕の中で先生はこれからも生き続けるし、これからもどこかでふっと思い出すこともあると思います。

そんなときはできれば優しく僕に微笑みかけてください。

厳しい顔の先生も先生らしくて好きですが、やっぱり僕はまだ未熟者なので先生の笑った顔の方が好きです。

もしかしたら僕が今この文章を書いているこの時も後ろの方から見ているのかもしれませんね。

そう思うとものすごく恥ずかしいです。

僕は今、最後の文を、とある街角のカフェの端っこの席で涙を流しながら書いています。

いつものように帽子を目深にかぶり、いつの間にか生活に必要になったマスクをつけているので誰からも泣いているように見えないのが幸いです。

涙なんか人に見せたくないから。

先生、ありがとうございました。

画面に浮かんだ文字が涙で滲んで見えなくなりそうですが、その度にマスクを上げて涙を擦り、必死に平静を装っています。

顔を上げると涙がこぼれてしまいそうなので、画面をずっと凝視したままなので、周りからは仕事に集中している人にしか見えないでしょう。

または時折鼻を啜る音がする変な人に思われているかもしれません。

ああ、だめだ・・・涙がどんどん溢れてくる。

マスクで拭いて平静を装うには限界があります。

先生。

さようなら。

ありがとうございました。

これからも、優しく見守っていてください。

本当にさようなら。

そして

ありがとうございました。

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