佐藤浩市「作品は見るけどアドバイスはしない。まだ一人前でないから」

先日Yahooのニュース欄を見ていたら、俳優である佐藤浩市さんの息子さん「寛一郎」さんについての記事が掲載されていました。

>>>佐藤浩市 連ドラ出演中の息子・寛一郎には「アドバイスはしません。まだ一人前ではない」(リンク先はソース元のスポーツ報知)

ソース元はスポーツ報知とありましたが、そこで佐藤浩市さんが息子さんに向けてお話ししている姿が非常に印象的で愛のこもった言葉のように感じました。

それはタイトルにもあるように、佐藤浩市さんが寛一郎さんに向けて「作品は見るけどアドバイスはしない。まだ一人前でないから」といっていた言葉に端を発します。

偉大な父を持つと言う苦しみ

佐藤浩市さんは三國連太郎さんの息子でもあり、やはり立場的には寛一郎さんと似たような境遇であると感じているのだとおもいます。

同じ俳優業という職業を選んだ以上、見る人の目にはどうしても親である三國連太郎さんの存在がチラついてしまうからです。

それは今の「寛一郎」さんを見てもそうおもいます。寛一郎さんの演技を見ているとどうしても佐藤浩市さんの姿が頭をよぎってしまうのです。

確かに成人しているし、親と息子は関係ないようでいても、見るものとしてはどうしても知らず知らずのうちに佐藤浩市という俳優の存在を重ねて見てしまうのです。

私の場合はTBS系日曜劇場「グランメゾン★東京(2019年10月期)」で、はじめて寛一郎さんの演技を拝見したのですが(重要な役どころでした)、やはり、違う俳優だとは分かってはいるもののお父様の佐藤浩市さんとどうしてもその姿を重ねて見てしまっていました。

思えば、佐藤浩市さんをはじめてテレビドラマで拝見した時もそのように思いました。

フジテレビ系列のドラマ「天気予報の恋人(2000年4月期)」で佐藤浩市さんの演技をはじめて意識して拝見したのですが、お父様が三國連太郎さんであると気がついてから、やはりみるめが変わってしまったようにおもいます。

ご出演されている作品を見るものとしては、どうしても親子の姿を重ねて見てしまう。

それは演じる側にとってもかなりのプレッシャーであるようにおもいます。

父が偉大であればあるほどそれは非常に重いものとしてのしかかってくることでしょう。

「作品は見るけどアドバイスはしない」

スポーツ報知の記事によると、佐藤浩市さんは息子の寛一郎さんに対して次のように語っていたようです。

「作品は見るけどアドバイスはしません。まだ一人前ではないから」

この言葉を聞いた時、息子さんへの愛が溢れているし、私なんかの立場のものが言うには大変おこがましいことのように思えますが佐藤浩市という人は筆舌し難いほど聡明で本当にすごい人なんだなと思いました。

同じ業界、同じ職業についているのですから、ともすれば、先輩として口を挟みたくなるものです。

それが息子だったら尚更でしょう。偉大な俳優の二世として一度は自分も通ってきた道ですから、出演している作品の演技を見てアドバイスをしたくなることはたくさんあると思います。

ああした方がいい、こうした方がいいそれは無限に出てくるはずだからです。アドバイスの一つや2つはしたくなるものでしょう。

しかし、そういった思いをおさえてまで佐藤浩市さんは息子さんに対して「作品は見るけどアドバイスはしない」と言い切っています。

そしてその理由として「まだ一人前でないから」。

繰り返しになりますが、私なんかの立場で言うのも大変おこがましいことなのですが、それを承知で言わせてもらうと改めて「すごい人だな」と思います。

※この辺りはイチロー選手の思想に通ずるようなものがあるように思います。

>>>イチロー「無駄なことはできるだけやった方がいい。そうでないと合理的になれない」

下手なアドバイスは個性を失わせる

多分、ご自身の言葉は影響力を持つからこそ、言いたいことはたくさんあるけど、息子さんに対して特別なアドバイスはしないといっているのでしょう。

「アドバイスをしたくない」のでもなく「アドバイスができない」のでもなく「アドバイスはしない」のです。

なぜなら息子さんはまだ「一人前でないから」。これはある程度、道を極めて、そのさきに進んだ人にしか感じえないことです。

ある程度のステージに立って周りから「一人前」と言われる立場にならないと、わからないこと、わかりえないことはたくさんありますし、何より自身のアドバイスがその人にとって正しいものとは限らないからです。

だから、まだ、俳優として地盤が固まっていない段階で、上にたつ立場の者として、とやかくアドバイスをしてしまうと、その人の俳優人生を左右してしまいかねないほど深刻な事態を招き起こしてしまうことにもつながってしまうのです。

逆に、ある一つのアドバイスをしてしまうことで、その人の「個性」を殺してしまうこともあります。

俳優の魅力は「個性」にもありますから、何か口を挟むことでその「個性」を失って欲しくない、迷って迷って、たどり着いた末に一人の俳優としてのスタイルが生まれ、それが佇まいに出たり、良くも悪くも人を惹きつけるその人だけの魅力になっていく。

一人の俳優として迷い悩んだ挙句、自分のものとして名声を獲得していって欲しい・・・。そんな優しさが溢れる言葉だと思うのです。

「作品は見るけど」といっているのも、息子さんである「寛一郎」さんへの愛ある発言だと思います。

※半端者は非常にアドバイスばかりをしたがります(マウントなのか何かはわかりませんが)。そうしたやたらめったらアドバイスをしてくる人に出会ってしまうと、自然にしていればうまくいくものも、なかなかうまくいかなくなってしまうこともあります。

まだ一人前ではないから、アドバイスをしない

「アドバイスはしない。まだ一人前ではないから」何度聞いても、本当に震えるほど素敵な言葉だと思います。

一般的には一人前になったらアドバイスは必要ないと考えられていることが多いように思いますし、アドバイスは半人前でこそ生きてくるもののように思われている節があるように思います。

ただ、私の経験から言わせてもらうと、本当にその道を志すのであれば半人前である時はアドバイスは必要ないと思っています。

そうした時はどんなに遠回りに思えても、できるだけ無駄をしていろんなことを経験してもらい、あらゆる方面で徳を積んでいってもらった方が後々大きな力になるように思うからです。

私はそうしたものを「余白」や「遊び」と言葉を置き換えて表現していますが、真剣に何かと向き合ったり、真剣に何かを学ぶ時はこうした一見すると無駄に見えるようなものがないと道を深めていくことができないし、自分なりの形やスタイルといったものを確立していくことができないように感じるのです。

(逆にそればかりやっていてもいけません。ある時期においては、一見すると筋違いのように見える関係ないようなことも積極的にやっていくことが重要です)

一つの道を志す上で多くのケースで本当は「あらゆる局面で通用する答え」なんかありません。

だからこそ、半人前の時に影響力の強い立場の人からアドバイスをもらってしまうとおそらくそれが唯一無二の「答え」として受け止めてしまうことも関係しているのだと思います。

そしてそれを真摯に受け止めてしまったり「勘違い」してしまうと、どんどん道に迷っていってしまい知らず知らずのうちにどんどん深みにはまっていってしまう結果につながるのです(※)。

むしろ一人前になってから(私が一人前かどうかは別として)、アドバイスが必要になる機会が多いように感じます。

また一人前になってからの方が、他人からのアドバイスを受け入れやすいようにも感じます。

多分様々な経験を通して下地ができているため、自分にとって必要なものと必要じゃないものを選り分けることができるからなのかもしれません。

経験を伝えると言うことはある種の自分という人間を介在した翻訳作業に過ぎないから、それを伝えるのは「恐れ」が必要なのです。

>>>SEOはGoogleとユーザーを繋ぐ翻訳作業

※私は筋違いのアドバイスによる勘違いによって随分と時間を失いました。けれども、今となってはそれが生きていると感じるので、本当は無駄なことなどないのだと思います。ただ「旬」と言うのはありますので、俳優業に関していえば特に「旬」と言われる時期に「いい監督」や「いい作品」に出会い世間からの注目を浴びることは大事なことであるように思いますし、人生を大きく左右する出来事のように思います。

「いい監督、いい作品に出会えるか、それで運命が大きく変わる。」

また続けて佐藤浩市さんは次のようにおっしゃっています。

「いい監督、いい作品に出会えるか、それで運命が大きく変わる。いい出会いがあることを願っています。」

俳優業に限らず、やはり仕事人として「いい監督」や「いい作品」に出会えるかがその後の運命を大きく左右します。

それが、俳優業ではない、実際の仕事の現場で言うと良縁を運んでくれる「いい人」であったり、表舞台に上がるために用意された「いい機会」であったりしますが、本当に「いい出会い」や「いい機会」をいただくと人生はトントン拍子に進んでいきます。

平たくいって仕舞えば、あとは「運次第」と言うことになるのですが、それもまた真理をついた発言であってすごい人だなと思ったのです。

「いい監督、いい作品に出会えるか」が俳優人生を左右すると言うのは昔から俳優の世界ではよくいわれていることです。

どんなにいい俳優であっても、どんなに実力があったとしても、それを適切に扱ってくれる、自分という素材の味を引き出してくれる「いい監督」や「いい作品」に出会えないと広く世に知られることなく「旬」が過ぎ去っていってしまうからです。

だから俳優でもなんでも大きく成功するのは難しいのです。実力とは違う「何か」が大きく影響してくるからです。

実際、今テレビや映画で見ている俳優さんよりも演技の上手い俳優さんなんて男性、女性限らず本当にたくさんいらっしゃいますし、なんでこんなに上手なのに表舞台に出てこないのだろうと不思議に思うことも多々あります。

もちろん、表に出たくないから出ないという人もいるのでしょうが、ほとんどの人は有名になりたいという本音が潜んでいるものだと思います。

俳優業では特に、名声を獲得した方が稼げますから。

歌手でも同じです。「いいプロデューサー」や「いい曲」に巡り合うことができなければどんなに歌唱力があっても日の目を浴びることはありません。

実際、いっぱいいますよ、そんな人。ゴロゴロいます。それを見つけ出すのがプロデューサーの仕事でもあるのですが、今の時代、なかなか本物を探し出すのも難しいと聞きます。

ただし誰かにとって「いいプロデューサー」が、あなたにとっての「いいプロデューサー」であるかはまた別の問題です。

あなたと言う素材を十分に理解してくれて、尚且つあなたの魅力を最大限に表現する曲に出会わないと、いい作品は生まれないからです。

ともかく、「いい監督、いい作品に出会えるか」それで本当に「運命が大きく変わる」のです。

そして、経験として、これは俳優ではなくても一般の仕事についても言えることだと思うのです。

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「公」と「私」は違うと想像するのは野暮なこと

もちろんこれはインタビューだからこのように答えたと言う見方もできます。

実際は「寛一郎」さんに対して、先輩俳優としてたくさんアドバイスをしているものの、公にいってしまうと息子さんの俳優人生に影響が出るため、「公」と「私」を分けていると言う見方もできます。

実際、何かアドバイスを求められたら、大なり小なりちょっとしたアドバイスはしていることでしょう。

ただそんなことをとやかく言うのは野暮だと思いますし、実際、演技に対して大きく口を挟むようなことはしていないとは思います(たぶん)。

 

ちなみに私の中での佐藤浩市さんの印象は三谷幸喜監督の「ザ・マジックアワー(2008)」でのデラ富樫です(笑)。

あの勘違い俳優を演じる姿(特にとあるシーンでナイフを舐める一連のシーンでの演技)は佐藤浩市さんの魅力を存分に発揮している役どころだと思いましたし私の中では真骨頂を発揮した作品だと思っています。あれを見た時はとんでもない衝撃を受けましたから。もう10年以上も前なのに、あれ以来、佐藤浩市さんが出ている作品を見るといまだに「あっ、デラ富樫が出てる」と思ってしまいます。

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