ヒトでもモノでも本物や価値のあるものは扱いづらいというはなし

なんでもかんでもそうですが「本物」は扱いづらいなと思います。

もしかしたら「本物」は利便性などの使いやすさと対極にあるものなのかもしれません。

語弊があるかもしれませんが、それはヒトでもモノでも同じだと思います(もちろん例外もあります)。

仕事ができる人は実は扱いにくい人が多い

なんというか一般的に思われているよりも、仕事ができる人というのは変わった人や狂っている人が多い印象を受けます。

私が社会人になる前の学生時代は、仕事ができる人は周りに気を使って、聖人君子のような人が多いと思っていましたが、実際に社会に出てみると実はそんなことはなく、仕事ができる人は変わった人が多いということに気が付きました。

むしろ周りに迷惑をかけながら、独断で推し進めている「迷惑やろう」な人の方が多い(笑)

仕事ができる人は、「ひとクセ」がある人が多いと表現してもいいかもしれません(なかにはひとクセどころではなく何クセもある人もいます)。

ただ仕事ができる人のそばには、必ず調整役のような方がいて、実際はその方が仕事を回しているというケースが多い印象を受けます。

ですから仕事ができる人は、その人物それだけでは活躍することができず(※)、周りにそれを理解してくれたり仕事をうまく回してくれたりしてうまく立ち回ってくれる人がいないと絵に描いた餅のようになってしまうのです。

もちろん立場を変えれば、また実際は調整役の人が仕事を回しているのだからこそ、その調整役の方も仕事ができるというカテゴリーに分けることができるのでしょうし、調整役の方がいてこそ仕事ができる人はいきてくるのであって、ややこしいようですが本当に仕事ができる人は調整役の人であるという言い方もできなくはありません。

※もちろん例外もあります。ただ、ほとんどのケースで仕事ができる「迷惑やろう」は、一人でいると本当に迷惑ばかりをかけてしまうので、仕事ができる「迷惑やろう」のそばには必ずと言っていいほど、その能力を活かすために必要となる周りとの調整役がいるように感じます。

高価なモノも扱いづらい

またこれは人に限らず、ものでも言えます。

例えば洋服の素材にビキューナという素材があります。

ビキューナは高地に住むラクダ科の動物の毛ですが、希少性が高いこともあり、また獣毛の中で一番と言われるほどきめ細やかな毛質であることから繊維の宝石とも呼ばれる非常に高価な素材で、この素材を使ってコート一着つくると数百万円ほどかかります。

例えばハイブランドでつくると数百万円後半は下らないものになります。

数年前でもアルマーニでビキューナ素材のコートを購入しようとすると600万円以上の値がつけられていたと言いますから、物価上昇中の現在においては、もしかするとかなり高額の値付けがされているかもしれません。

そんなことから、よく「ビキューナ素材のコートは高級車が一台買えるくらいの贅沢品だ」と揶揄されることもあります。

ビキューナ素材を使ったスーツは1着仕立てあげるのにも数百万円はしますから、もう、ここまでくると実用性とはかけ離れていて、とても現実的ではありません。

ブランドによっては、ジャケットだけでも250万円くらいするようですから、もはや庶民の手に届くシロモノではないということは明白です。

もしも購入したとしても日常的に使い回すには扱いにくさが目立つでしょうし、そもそも着ていく場面を選ぶことでしょう。

クリーニングに出すときの費用はたぶん高いでしょうし(調べていないのでわかりませんが、一般的に繊細な生地で扱いづらくなる程、クリーニングや修理などにかかるメンテナンス費用が高くなります)それだけ高額となると、保管するのにも気を使います(たぶん虫たちの格好の餌食となります)。

ビキューナはカシミアよりも上質な肌触りと言ったら良いのでしょうか。確かに見た目でもわかるくらいキメが細かく、独特な光沢があることが窺い知れますし、よく柔らかく肌に吸い付くような着心地とも表現されます。

ただ悲しいかな。本当このコート実用性には向いていません。獣毛で一番と呼ばれるほどキメが細かすぎるがゆえに、それを活かすとなると素材が繊細すぎるのです。

例えばカシミアのコートでさえ(その素材の特徴を存分に活かしたものとなると)日常的に使い回すには耐久性には乏しく、ウールのコートのように丈夫ではないので、毎日使い続けているとすぐにくたびれてきてしまいます。

ですから、長い期間カシミアのコートを使いたいのであれば、扱い方を考える必要があったり、必ずコートを休ませる期間が必要で、ウールのコートのように日常的に毎日着られるモノではありません。

もちろん、カシミアのコートも毎日着られないわけではないのですが、着用頻度が多いと、ウールのコートに比べすぐにコートがヘタってきたりしてダメになってしまうのです(もしかしたらこの辺りは素材のランクだったり、編み込み方によるのかもしれませんが・・・)。

カシミアのコートでさえそれですから、ビキューナのコートとなればもっと着用頻度を減らす必要が出てくるでしょうし、ここぞの時にしか着ていけないなど、着ていく場所を選ぶように思います。

 

こんなことを言っておきながら、もちろん私はビキューナのコートを持っているわけではありません。

実際にみたことはありますが、なんというかあまりにも高価でさらに扱いづらいとなると、日常用途には向かず、保存や扱いも大変で私にはまだまだ分不相応に感じてしまうため、素材自体に興味はあるものの、見送らせていただいております。

私はファッションを専門としているわけではありませんから、日常的用途に向かない服1着に600万円以上をかけるのは流石に今の価値観では考えられません。

その分、様々な分野にビジネスで投資した方が面白いし、そこに何かを生み出す楽しさがあるので、私にはまだまだビキューナのコートを手にする資格はないということなのでしょう。

ただ、価値観は人それぞれですので、そこに投資するだけの価値があると思われる方は一度手にしてみるとまた新しい世界が開けるのかもしれません。

このように、得手して本物は、日常的に使い回すのにはいささか耐久性が乏し過ぎるし、それを管理するためにも、そしてメンテナンスして維持していくのも非常に面倒くさいことが多いです。

だから日常使いには向かずハレノヒなど使うシチュエーションが限定されるように思いますし、それを扱うものの振る舞いも大切となるのです。

 

色々言いましたが、「ヒト」でも「モノ」でも本物は、「能力」であれ「素材」でそれを活かそうとすると本当に手が焼けることが多いですし、扱いづらいことが多いということが言いたいのです。

でも扱いづらいからこそ、それが他にはない価値をうんだり、他には真似できない発想ができたりするわけで、本物が本物たる所以なのかもしれません。

わけもなく、なんとなくそんな話がしたくなったのです。

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