トーマス・グレシャム「悪貨は良貨を駆逐する」の経済学的な意味について

私はものの例えとして、現在の状況と照らし合わせて「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉をよく使っていますが、誤解のないように正式な意味もここでお伝えしておこうと思います。

まず「悪貨は良貨を駆逐する」の言葉で有名なトーマス・グレシャム(1519〜1579)はイギリスの財政家で王室の金融代理人を務めた人物です。

グレシャムが生きた時代の政府は国の財政が苦しくなり、以前のように金や銀といった純度の高い貨幣を鋳造することができなくなっていました。

それを、当時はその貨幣不足を金や銀の純度の落ちた貨幣を鋳造することで補い、それを以前の純度の高い貨幣と同じもの、または同等の価値のものとして流通させたのです。

でも普通に考えてみれば同じ価値であるわけがありません。貴金属の純度が落ちたモノを、純度の高いモノと同等の価値として流通させるのには無理があります。

だからその結果、純度の高い良質な貨幣が市場に出回らなくなってしまい純度の落ちた価値の低い貨幣ばかりが市場に出回るようになってしまい純度の高い良質な貨幣はいつの間にか市場から姿を消してしまったのです。

そうした貨幣不足を金属品位の低下した貨幣で補う手法はグレシャムの時代だけではなく、古代ローマから中世ヨーロッパに至るまで何度も行われ、その度に経済社会に何度も混乱をもたらしたというのが大筋の流れとしておさえておきたい部分です。

悪貨は良貨を駆逐する〜悪質なものが出回ると、良質なものが市場から姿を消す〜

「悪貨は良貨を駆逐する」で有名な、グレシャムが生きた時代は貨幣が今のような紙ではなく、金や銀といったような貴金属でできていることが一般的でした。

お金が社会で使用されるには誰もがその価値を認めたものであり、持ち運びが用意、さらに社会に十分供給できることという3つの条件がなくてはなりませんが、グレシャムが生きた時代はそれらを担保するものとして貨幣は金や銀といったような貴金属であることが一般的でした。

ただ、経済活動が活発になるにつれて問題を抱えることになります。

それは国の貴金属の所有量には限りがあり、市場にお金を供給したくても貴金属が足りずに増発できず、市場に十分に貨幣を供給することができないという問題です。

貴金属の含有量を減らし、市場に流通させる

そこで硬貨一枚あたりの貴金属の含有量を減らすという手法で、政府は対応をしていくこととなります。

つまり本来であれば通貨一枚あたり10グラムの金が必要なところを8グラムにしたり6グラムにしたりといったような対策が取られ、本質的に金や銀の純度が落ちた貨幣を鋳造し、これまで鋳造されていた純度の高い貨幣と同じ価値に設定した上で市場に流通させていったのです。

貨幣の価値は同じものとして設定されているのに、古い硬貨には10グラムも金が含まれていて、新しい硬貨には6グラムしか含まれていないとなると、「誰もがその価値を認めたものである」という貨幣としての前提条件が崩れてしまうことになります。

また、本当は価値が低下した貨幣をこれまでと同等の価値の貨幣として無理やり流通させたのですから、以前の純度の高い価値のある貨幣は市場に出回らなくなるのは当然のことと言えます。

貴金属の含有量からいって、明らかに古い硬貨の方が価値が高いのに、市場では金10グラムが含有されている硬貨と、金の純度が落ちた、金が6グラムしか含まれていない硬貨が同等の価値づけがされているとなると、古く金の純度の高い通貨よりも、金の含有量の少ない新しい硬貨の方を使いたがります。

そうすると次第に金の含有量の少ない「悪貨」だけが市場にでまわるようになり、純度の高い古い「良貨」は市場から追いやられ姿を消してしまうという現象が起きます。

これがグレシャムのいう「悪貨は良貨を駆逐する」の意味であり有名なグレシャムの法則です。

 

こうした時代背景もありトーマス・グレシャムは

「以前よりも金銀の含有量を減らした金貨、銀貨を発行すれば、以前の金貨や銀貨は個人に退蔵され、含有量の低い新しい金貨、銀貨ばかりが世間に流通するようになる」

と提唱したのです。

これは「貨幣不足を金属品位の低下で補う」という手法で、本来なら価値の高い純度の高い硬貨が市場から消えてしまい、次第に悪貨ばかりが市場に出回り「良貨」は市場に出回らなくなってしまう結果をもたらします。

これを私は現在のウェブの世界に置き換えて「悪いコンテンツは、良質なコンテンツを駆逐する」といったように皮肉を込めて使っているというわけです。

ただの真似だけで本質的ではないコピーやリライトされたコンテンツが、矜持を持つことなく権威という名のもと乱発されその結果本質からそれたコンテンツばかりが市場に多く出回り、本質的でいて良質なコンテンツが姿を消し、やがては市場を塗り替えてしまう。

その結果、悪いコンテンツばかりが市場に出回るようになっていく・・・この「さま」がグレシャムの提唱した現象に似ているため私は「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉をよく引用しています。

例えば、貴金属の含有量を減らしてという流通させるという部分が第三者による改竄(コピーやリライト)であるし、それを政府がやったということが、多くは権威性の高い(Googleからもともとの評価が高く設定されている)資本力のある企業(多くは大企業)によるものという構図が似通っているのです。

こうしてみると人間の営みというものは、今も昔も大して変わらない、時代背景が違えど本質的には同じことを繰り返しているのだなと感じます。

そして最後に残るのはいつの時代も焼け野原であり、破滅への道筋です。これを運命の悪戯と言わずしてなんというのでしょうか。

 

追記:

ウェブの世界における「悪貨は良貨を駆逐する」については以前執筆させていただいた下記リンク先の記事を参考にしてください。

>>>【コラム】悪貨は、良貨を駆逐する(悪いコンテンツは、良いコンテンツを駆逐する)

現在はSEOに限らず、検索した際に表示されるウェブの広告(リスティング広告など)も悪貨によって良貨が駆逐されていく現象が起きています。

例えば、よく目にするえげつない広告や週刊誌に掲載されているようなハイプ(誇大広告)な広告です。

コロナ禍になってから以前にもまして目につくようになりました。YouTubeはもちろん、Yahooなどでも記事に紛れ込んで広告が掲載されていますから本当困ったものです。

その多くが実態とはかけ離れた悪意のある広告ですが、そうした悪目立ちをする広告に、良心的だけれども地味な広告が追いやられ、ウェブの世界がどんどん荒れてきてしまってきています。

全てが悪い広告であるというわけではないと思いますが、一部の金儲けを企んだ組織的な行いによってウェブ広告の信用を失墜させてしまっているのです(彼らは本当金儲けのためならなんでもやります。ハイプな方が人は敏感に反応しますから、彼らはそれを逆手にとってギリギリのグレーゾーンで攻めて広告を出稿しているのです)。

そうした広告を掲載する媒体側も、媒体側だと思いますが、どこかで大きな被害が出たなど問題が大きくならない限り、お金を落としてくれる広告主として扱いますから、どうしようもありません(本当、企業倫理なんてタテマエであって実際はないようなものです)。

以前、派手なもの(ヒトを含む)には嘘が含まれるので、疑ってかかる必要があるということを以前お話ししましたが、やはり飽和状態にある中で派手に目立とうとすると、どうしても本質からかけ離れてきてしまうのです。

>>>派手なものの中には「嘘」が含まれる

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