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インターステラー「前に進むには何かを追いて行かなければならない」

ついこの間、AmazonのPrime Videoで「インターステラー」という映画を観ていました。

この映画は2014年の公開時に観た記憶があり、映像がとても綺麗でストーリーの内容も当時の私が見ても非常に秀逸だったと記憶していますが、悲しいかな、どんなにいい映画を観ても人は忘れるもので、細かい内容はほとんど覚えていませんでした。

そこでふと思い立ち、映画を見直してみたのですが、やはりその時々によって感じるものは違うもので、以前の私がみた時の映画の感想と今の私がみたときの感想では映画としての着眼点も違っていたし、感想もまた違うものでした(どこがどう違ったのかは長くなり過ぎるので省きます)。

特に、クリストファー・ノーラン監督の作品はそう感じさせる作品が多いようにおもいます。

映画の感想は作品としての純粋な評価にはならない

なんだかんだ言って、観るときによって感じ方が大きく変わる映画は多いものです。

そこには映画を見るときに遭遇している時代背景というものも見る人の感想や評価の中に含まれるし、一緒に見る人だったり、そのときに頭の中にある考え方や記憶によっても映画の良し悪しは変わってくるものだからだとおもいます。

だから、本質的な意味で純粋に映画を評価するのは難しく、映画そのものとしての純粋な感想にならないことも多く、だからこそ複雑でそのとき面白いものは面白いし、みんなが面白いと言っているのに面白くないものは面白くないことが度々起こります。

本当不思議なものですね。

でも、それでいいんだとおもいます。

映画なんて見るときの境遇や立場によって感想や評価はガラリと変わるもの。それでいいんだとおもいます。

もしかしたらそういう感想を持つときは、何か周りの雰囲気と感覚的にズレているのかも知れません。

このあたりは料理と同じですね。そのときの気分や体調によっても味の良し悪しは随分と変わってくるものだからです。

どんなにいいレストランで料理を食べても、一緒にいる人や、気分、周りの雰囲気、体調、それにウェイターさんの気配りなどによって美味しさは随分と変わってくるものだからです。

つまりは人の健康面をも含む、トータルなものがそのときに下した判断であり評価だということになります。

人の評価や感想はその時々の「複雑な雑味」が含まれるものに過ぎない

人は面白いもので、同じ映画であっても(それが映画じゃなかったとしても)経験はもちろん、その時々に置かれている境遇や、立場によっても大きく見方が変わったり、評価や感想がガラリと変わったりします。

それは、純粋に作品「そのもの」を見ているのではなく、そこには時代背景を含む「複雑な雑味」が意識とは関係なく無意識のうちに含まれるものだからです。

例えば、映画について言えば、昔の名作と呼ばれる古典的な映画をみて見ると、今の感覚で見てしまうとほとんどの作品が、退屈な作品であるようにおもいます。

もちろん過去の名作と呼ばれる古典的な映画は、白黒映画だということも理由に挙げられるとおもいますが、それとは違う部分、例えば細かいセリフ回しだったり、カメラのアングルだったり、テンポや、話の展開などが今の時代の感覚で見るといささか乱暴すぎたり、こんな風にはならないよね、と言ったようにどうしても、ものすごく覚めた目で見てしまいますし冷静な目で見られないところがあります。

例えば、そうですね・・・1942年の映画の名作「カサブランカ」なんて、主演のハンフリーボガードこそ格好いいものの「君の瞳に乾杯」などというセリフは現代人の感覚で見ると、やはりキザに思えてしまい、なかなか冷静な目で見ることができません(しかも同じ映画の中で4・5回くらい言ってます。一回だけでもお腹いっぱいなのに、それを何度も言われてしまうと今の感覚で見てしまうとちょっと食傷気味に思えてしまいます)。

当時は、おそらくそうした格好つけたキザな感じが格好いい男性像であると思われる時代だったのでしょうし、そうしたものがウケた時代だったのでしょう。

その時代に生きていれば、その時代の感覚を持って映画を見ることができるので、時代背景とあいまり、より映画の世界に没入できるのかもしれませんが、どうしても今の感覚で見てしまうと、古典と呼ばれる作品は特に言えることですがそこに「複雑な雑味」が含まれてしまい作品そのものを純粋に楽しむことができません。

「複雑な雑味」次第でそのものとしてのとらえ方が変わる

繰り返しになりますが、同じ映画でも、その時々の気分や境遇、時代の背景などによってそこに抱く感想や評価は大きく変わってきます。

それは感覚が変わると表現してもいいとおもいます。

私もそれにしかりでやはり、同じ映画なのに、今回改めて見直したインターステラーにしても以前とはまた違った感想を持ったし、一つの物語として映画を見るときの着眼点も違うものだったようにおもいます。

話の内容を全て言ってしまうとネタバレになってしまうので、ここで詳しくは話しませんが、まだご覧になったことがない方は是非みてください。

映像としても一つの物語としてみても面白い映画です(ブラックホールの表現など科学的見地に基づいて本当リアルに表現されているようです)。

映像はもちろん、極限状態に立たされたときの人の感情がうまく描かれていたと思うし、何より物理に詳しくない素人の私が改めて見ても映画のストーリーとして他に類を見ないほどの完成度の高さだったようにおもいます。

確かによく理解できない難解な部分もありますが、映画の感想は見る人がその時々に勝手に決めればいいと思うし、そんなに肩肘張らずに気楽に見ればいいとおもいます。

何せ3時間近くある映画ですから(長い!!)。

ともかく。前置きが長くなりましたが、今回お話ししたいのは映画の内容についてではなく、映画の後半で窮地に立たされたマシュー・マコノヒー演じるクーパーの気持ちを汲み取るかのように相棒のロボットであるTARS(ターズ)がかけた言葉です。

主人公クーパーの相棒のロボットであるTARS(ターズ)は、映画終盤のとあるシーンでこんな言葉を言っていました。

「運動の第三法則。前に進むには何かをおいて行かなければならない」

(いきなり相棒のロボットTARS(ターズ)が出てきましたが(笑)気になる方は映画を見てください。面白いですから)

運動の第三法則「前に進むには何かを追いて行かなければならない」

なんというか、このセリフは以前なんとも思っていなくて、目の前を風のようにさらっと通り過ぎ去ってしまった記憶があるのですが、今回改めて見ると、やけにこの言葉が胸の奥まで浸透してきました。

私は物理に詳しくないので運動の第三法則というものがどのようなものなのか知りませんでしたが、調べてみると「作用・反作用の法則」のことで(なんか言葉は聞いたことがある)要は「2つの物体が互いに力を及ぼすときに(これを作用という)一方だけが他方へ力を及ぼすのではなく、必ず反作用が存在すること」を主張する理論のようです。

例えばスキューバダイビングなどで水中に潜り、中性浮力(※)の状態にあるとき、一方に力を加えると、もう一方の方にも同じ力が加わりお互いの距離が離れていく現象と表現したらわかりやすいのかもしれません。

私はスキューバダイビングをやるので、そのように理解したのですが・・・もしかしたら間違っているのかもしれません。

とにもかくにも、運動の第三法則は、何かに力を加えたら(作用)、加えた方にも加えられた方にも同じ力(反作用)を及ぼすという関係にあるという法則らしいです(あっていますかね?心配になってきました)。

多分、物理の中でもそんなに難しいことではなく基礎的な内容のことのよう思えるので学校の物理の授業でならったのだとおもいますが、私は真面目に授業を受けていない生徒だったのでほとんど記憶にありません。

どの科目が好きかと聞かれたら、真っ先に「保健体育!」と答えていましたから・・・。

(※)中性浮力はダイビングをする醍醐味の一つだとおもいます。水中で、まるで宇宙空間にいるときのような浮遊感を味わうことができます。もちろん海の中では水の流れの影響を受けるので、完全に無重力というわけではありませんが、浮遊感やふわふわ浮かぶ感覚を感じることができます。面白いですよ。スキューバダイビング、おすすめです。

作用・反作用の法則は物理の世界にとどまらない

話を戻しましょう。

「前に進むには何かを追いて行かなければならない」

経験を積んで大人になった今になってきくと、しみじみ感じいる言葉です。

もしかしたら、こうした物理の世界にも物事の真理があり、私たちはそこからまだ見ぬ体験として多くのことを学ぶことができるのかも知れません。

何か大事な選択を迫られたときや、これよりも成長しようと何かを打破しようとするとき、今までと同じようにことをなしていては結果は残すことができません。

やはりそれを乗り越えるには、何かを追いていく必要があるし、それなりの力を加える必要があります。

そうして加えられた力は「作用・反作用の法則」に見られるように痛みを伴うものだし、大きく前に進むためにはそれなりの力が必要になります。

同じことを続けることは残念ながら時代が許しません。どこかで今までのものを置き去りにして、けれども蓄積された経験を活かしながら、前に進んでいかなければならない時があります。

私自身、なんとなく今まで経験してきた流れの中で、振り返って見るとこうした物理の法則にも見られる意図しない「何か」が確かにそこに存在しているような気がしたし、そうした気がするのです。

だから今回、「前に進むには何かをおいて行かなければならない」という言葉に、何か特別な思いを感じたのかも知れません。

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