なぜ流行が生まれ、なぜ流行が去っていくのだろうと不思議に思ったことはありませんか?
流行はその時代を生きる人々の気分や雰囲気によって決まりますから、その時代にウケるものは、そのまま人々の気分や雰囲気を象徴するものであると言っても過言ではありません。
言葉を変えれば、流行はその時代を象徴するものと言ってもいいでしょう。
これについては、ファッション業界やアパレル業界のことを勉強すると分かりやすいように思います。
今回は、ファッションを題材にして時代を象徴する流行について、流行はなぜ生まれ、なぜ流行が廃っていくのかということをお話しし、時代を超えて長く愛されるものと時代を象徴する流行の違い、それにそこから派生して生まれるものや様々な誤解や問題などについてお話ししていこうと思います。
これだけでは何を言っているのか分からないかもしれませんが、最後まで読み進めていただければ、私が何を言いたいのかご理解いただけると思います。
目次
真似しやすいものは価値が落ちやすい
ファッション業界またはアパレル業界では真似しやすいものやアイテムはトレンドがまわりやすいアイテムだとされています。
とは言っても、ほとんどの洋服がデザインなど真似しやすいですし、パターンさえ模倣してしまえば比較的同じようなモノを作ることは簡単にできます。
厳密に言えば例えデザイン的なパターンを模倣したとしても素材や質感などが違いますし、製品としてつくりあげる工場や職人の力量によって物作りが違うため全く同じものにはならないのですが、ほとんどのアイテムは素人目にはあまり見分けがつかず、多くの人の間では「同じもの」として認識されます。
「ここの糸の縫い方が違う」とか、「ここのデザインが他と違い特徴的だ」とか、そう言ったものは一部の愛好家の間だけでもてはやされ多大なる「価値」を生みますが、一般的な人々の間ではそうした細かな違いなど気に留めることはなく、「同じもの」として認識されますので、一部のマニアとは違ってディテールにそこまで目が向くことはないし、こだわることもありません。
するとどうなるか。
装いでいう「格好よさ」、「おしゃれな人」というのは、同じように見えて他の人と「何かが違う」から「おしゃれな人」として認識されます。
つまり側から見てわかるようでわからない、けれども何かが違う・・・そのちょっとした「違い」が価値を生み「格好いい」、「おしゃれ」に私たちの目にはうつるのです。
その「違い」が素材によるなのか、シルエットによるものなのか、色によるものなのか、それともその人の内面から醸し出される何かによるもののなのか・・・ひとめでは分かりません。
そこには、その人にしかわからない「哲学」があり非常に統一的でいて洗練された一本の「筋」や「違い」それを醸し出す「何か」が確かに存在するからです。
違いは模倣されるが誤解されたまま浸透していく
けれども、一般的な人々がそれを模倣し、もともとは「違い」を生む「何か」が市場にある程度広まってしまうと、ディテールの違いこそあれ、いつの間にか、街中に同じようなものが溢れ「オリジナルなモノ」が「模倣されたモノ」に置き換えられる現象が起きます。
玄人目には違いがあれど、素人目にはたいして違いがなく、どれも同じものとして扱われ「違い」が失われてしまいそのアイテムを使って装う特別感がなくなってしまうのです。
そればかりではなく、それっぽく模倣しただけなのでそうして広まったものには確固とした哲学がなくもともとの「筋」とは違った形で模倣されてしまうので、段々と格好よく思えたその装いがダサく思えてくる現象が起きてきます。
「模倣されたモノ」は単なる見た目だけ「形」だけなので、「そのもの」としての本質的でいて哲学的な意味合いが薄れ、同時に「形」だけが消費され、やはり「何か」が違い価値が失われていく傾向にあるのです。
アール・ナイチンゲールも「大衆は常に間違う」と言っていたし私も、それについて悪貨は良貨を駆逐すると言葉を言い換えて言及したことがありますが、つまりは私が言いたいのはそういうことなのです。
流行になったものは価値が落ちていく
そうしてオリジナルのものが模倣され、もてはやされ流行になったものは、飽きられてしまいやすく、また同じものが急速に街に溢れるので一気に価値を失っていきます。
そこで人々の前をいく「おしゃれな人(現代風にいうと「インフルエンサー」)」は、時代の流れを読み取り、だんだん浸透してきたな、同じになってきたなと感じ取ったら、また人々とは「違う」装いをし始めます。
ちょっとした「違い」を生み出そうとまたそのファッションに変化を加えていくのです。
そして「おしゃれな人(インフルエンサー)」を見てその装いが他とは違い「格好いい」「おしゃれだ」と感じる人が生まれ、またそれを追う人々にちょっとした「違い」が加えられ、デザイン的特徴を持つ洋服のパターンが模倣され一般的な人々には少しだけ遅れて、時間をかけて浸透していきます(完全なるトップダウン!)。
それが脈々と続いていくことによって、元の場所に戻ったり、けれども完全には元には戻らず、少しだけ変化が加えられた装いが一般的な人々に浸透していきます(業界関係者によるとだいたい20年ごとくらいにファッショントレンドが回るようです。つまり今は1990年代の流れが来ているということになります)。
装いは人々の内面が表に現れたものという側面もありますから、つまり、人々の気分やそれを取り巻くもの、その時代の雰囲気によって同じトレンドに戻ってきても装い方やディテールに違いが生まれてくるのです。
今、裾幅がグッと広がったフレアパンツが流行ってきていますが、以前はやったフレアパンツではなく、ちょっと変化が加えられたフレアパンツが流行るのもこうした現象から起こります。
ファッション業界やアパレル業界では、だからトレンドがまわりやすいし、矢継ぎ早に次のトレンドが生まれどんどん消費されていくのです。
どこで変わらぬ価値を生み出すのか
ユニクロがなぜ今流行っているのかというのには理由がそれこそたくさんありますが(ここではひとつひとつ丁寧に解説しません)、シンプルでモノトーンの流れがきている中で、街中で着ていても「ユニクロだとわかりにくいから」ということもものの背景にはあります。
シンプルでモノトーンな装いは「ユニばれ」しにくいのです※。
シンプルでモノトーンのアイテムは、比較的スタンダードなアイテムなのでで、周りから見てもどこのブランドか分かりづらい傾向があり、見た目ではわからないのであれば安価なユニクロで済ませようという考え方が人々の頭の中にはあります。
また、おうち時間が長いというのもユニクロが流行る時代の背景にはあるでしょう(外に出る機会が少ないし、普段は家族だけだし、誰かのために装う場が少ない・・・差を生み出す必要もないし、意味も感じられない。それならば安価なモノで済ませよう。当然の流れです)。
もちろん以前と比べるとユニクロの製品はものすごくよくなっているので、ユニクロ側の企業努力という側面もあります。
実際同じウール素材のセーターを手に取ってみても、高価なブランドものとユニクロのモノ、一般的な目で見れば、そこまで大した違いはありません。
並べてみて比較してみれば確かにブランドものが作り出す製品と手触りは全然違いますし、着用しても着心地はもちろん、デザインなどのシルエットにも「違い」があり全体に対する細かい部分、つまり差を生み出すディテールに特徴は感じられます。
しかし、ブランド物との価格差が10倍以上となると、一般的な人々がそこに価値を生み出せるのかどうかは疑問に思いますし、実際、日常着として着用する分にはディテールにはあまり関心がないように思います。
例えば、ユニクロでは3千円で買えるセーターが、ブランドモノだと6万円以上することもザラですから(何と価格差は20倍以上!)、日常的に使い回すとなるとやはりユニクロが選ばれると思います。
※(ユニクロを着ているということがバレることを「ユニばれ」と言います。ユニクロは素晴らしい製品を作り上げてくれますが、同時にみんな着ているから価値がわかりやすく、なんだか「ユニクロ」というだけで気恥ずかしくなる面が誰の頭の中にも少なからずあるのです(ファッションは難しい!)。ただ一世を風靡したフリースの時代のユニクロと比べるとジルサンダーなど有名なデザイナーとコラボしているためかユニクロもブランド力が上がっています)
同じものに差を生み出すモノは何か
じゃあそんな流行がまわりやすい業界で、どこで差別化するのかと言ったら、それがブランド力です。
ブランドとして人々の頭の中に、一定の価値を持ってもらうことで唯一無二の価値を生み出そうと人々にブランド哲学としてのイメージを植え付け続ける努力をしているのです。
これがマーケティングの力です。
ブランドを立ち上げた思いやブランドの立ち上げから今に至るまでのストーリー、社会との関わり方、誰がそのブランドを使っているのか、そのブランドの背景にあるものが全てそのままブランドになります。
そして同じ素材、同じデザイン、同じ工場で縫製したモノであってもたった一つ、そのブランドがわかるマークやデザインが入ることでそのモノは一気に価値がうまれるのです。
それはある種の宗教のようなもので、同じ価値観を持つ人々がそのブランドを信奉することでさらなる価値を生み出し続けていくのです。
言ってしまえばブランドというモノはあってないようなもので、人々の頭の中にだけイメージとして存在し、そのイメージを高めていくことが差別化につながっているのです。
時代を超えてもなお価値を落とさず流行がまわりにくいもの
一方でレザーやジュエリー、高級時計は流行がまわりやすいファッション業界やアパレル業界の中でトレンド(流行)がまわりにくいアイテムであると言われています。
この違いは何かといえば、わかりやすい指標の1つに高価でありなかなか買えないということが言えると思います。
高価であるということはそれだけ人々の手にまわりにくく、差別化しやすく、それはつまり市場に浸透しにくく、真似されにくいということを意味しています※。
手が届きにくいためトレンドがまわりにくく、アイテムとしての価値が落ちにくい。それだけではなくなかなか簡単に手が出せないアイテムなので信用が高い、ブランド力のある製品により価値が集中しやすく、結果として、偏向的に価値が上がりやすいのです。
※私が「男性性の時代と女性性の時代、それにこれからの時代で求められる価値観について」という記事でこれからの時代は「これまで以上に高価なモノやサービスも売れやすい時代になる」と言っている背景にはこうした考え方があるからです。
手軽で安価なモノやサービスは流行がまわりやすい
つまり、一般的に真似しやすいモノだったり真似されやすいモノは価値が落ちやすいということが言えます。
ファッションに限らず音楽でも何か一つの音楽が流行ったら、矢継ぎ早にそれと同じようなメロディーやリズム、テンポの曲が一斉に生まれ世にうみだされていきます。
当初は斬新だ、格好いいと思えていた音楽でも、一般的に浸透してきてしまうと、不思議なもので耳がそれに慣れてきてしまい、途端にありふれたものになってしまいます。
音楽は音の組み合わせで決まりますし、一般的な人々の認識としては誰が演奏していようがあまり関係なく、差別化を生みづらいものとして認識されますから、やはりすぐに同じような模倣された曲で溢れてしまうのです(実際生で音楽を聴くとその迫力に圧倒されます。本当に素晴らしい・・・が、それが音源になると失われてしまいます)。
その回るスピードが早ければ早いほど、一つの音楽に触れる機会が多くなりますから、飽きがきやすい。
技術だなんだと言われますが、そんなモノは実は一般社会の人にとってはあまり関係なく、言葉にすれども関心も薄く耳に入る音が似たものであればそれはそれでいいとされてしまうのです。
料理も同じです。
飲食業界も流行り廃りが激しく熾烈を極める厳しい業界だと言われていますが、やはりそれは乱暴に言えば「味」を真似しやすいからでしょう。
実際、大衆受けする大雑把な味であれば化学調味料などで簡単に味を真似ることができると言います(繊細な味は難しいと思います。後味などの余韻に関わる問題だからです。だから長く愛される料理店はそこでしか味わえない価値をうむし、長く愛されているのだと思います)。
知人の料理人によると、完全には真似することはできないまでも、化学調味料を使わずとも、その料理を味見して模倣し、素人の方にはわからない、ある程度同じ味付けにするのは比較的簡単だと言います。
つまり、確かなレシピが手に入らなくても、味見して模倣しそれを食べ慣れていない人に向けて同じような味にすることはできるというのです(本質は失われていきますが、模倣することは簡単なのです)。
ですから飲食業界もファッション業界と同じように何かが流行れば一斉にそれを模倣したものを市場に投入するというビジネス的なパターンとして組み込まれ飲み込まれやすい業界だと言え、それはつまりファッションと同じようにトレンドが回っていきやすい業界だと言えます※。
そしてやはり同じように繊細な味などの細やかな味付けは玄人の間でもてはやされ多大なる価値を生みますが、一般の人には似たようなものであればいいというファッション業界と同じような価値の転換と言われてもおかしくない現象を生み出していきます。
飲食店は1年や半年で閉店してしまうお店も多いですし、10年もたてば老舗と呼ばれるくらいものすごくトレンドがまわりやすい業界の一つなのです。
※昨年はマリトッツォが流行りましたが、半年程度でブームはさり、この業界は次のブームを作り出そうと躍起になっています。2〜3年くらい前に流行ったタピオカなんてもう、見る影もありません。
モノはある一定の価格を超えると価値が分からなくなる
また、お正月番組で1本100万円以上する高価なワインと、比較的手に入りやすい5000円のワインの違いがわかるか芸能人を格付けする番組が毎年放映されていますが、実際、2つのワインを飲み比べてみてもほとんどの人がわからないと思います。
もちろん私もわからないと思います。
店頭価格で1万5千円を超えたあたりから、ワインの味わいは複雑さを増し飲み慣れない味になっていきますので、傾向としては高価になるほど一般的に思っているほど美味しいと感じることはできなくなります(単純な味わいから複雑な味わいになるからです)。
そして多分、それをまた超えると、あとは味とは違う部分で価値が生まれてくるように思いますから、もしかしたら飲みやすくなるのかもしれませんが、味とは違うブランドの背景の部分により価値が生まれてくるのだと思います。
つまり、ある一定の価値を通り過ぎるとそこには希少価値などの様々な価値が加えられていきますので、実質的なものの価値なんてあってないようなものになっていくのです。
トレンドを回しやすい業界は流行り廃りが激しい
ウェブも同じです。
ウェブはコンテンツが一瞬でコピーできますし、真似されやすい、真似しやすい業界ですから本当模倣野郎が有象無象のさばり蔓延っています。
実際、何かが流行ればすぐに、似たようなサービスやコンテンツが市場に溢れていきます。
そこには個人や会社関係ありません。
インターネットにつながる環境さえあれば、パパッとコーディングしすぐに市場投下できますから、障壁は低く真似されやすいと言えます。
だからもともと全体的にトレンドがまわりやすい業界なのです。
実際私がどんなに頑張って書いたコンテンツも味が薄められて、コピーされてウェブ上を席巻していますし、全体を通じてみても同じようなコンテンツばかりが目に付く状態になっていっています(何でわかるのかと言えば検索順位でしばらく上位を取り続けているとそれを模倣したコンテンツが溢れてくるからです)。
どんなに時間をかけようが全く関係なく、真似されやすいモノは、価値を落としやすく、真似されにくいモノは価値を落としにくい。
これが厳然たる事実です。
時代を超えて長く愛されるものと時代を象徴するものの違い
そしてそれが流行になるものと、流行になりづらいものの特徴や大きな違いであり、時代を超えて愛され続けるものと、時代を象徴するものとの違いになるのだと思います。
つまり真似しやすく浸透しやすいモノは価値を落としやすいが流行を生み出しやすく、真似しにくく浸透しにくいモノは価値を落としにくく時代を超えて愛され続けやすい傾向にあると言えると思います。
そして、それはものの本質とはまた別次元で起きている問題だからこそ、またこれがややこしいのです・・・。
[…] […]
[…] […]
[…] […]