「なんで、このブログはSEOのレシピっていうの?」
そう聞かれたことは今のところ一度もないですが(笑)、実はきちんとした意味があります。
どのような名前がいいかと考えていたときにちょうど木村拓哉(キムタク)主演のドラマ「グランメゾン★東京」がやっていたこともあり、「これだ!」と思ったからです。
・・・というのは冗談ですが(ただし視聴していたので、ブログのアイデアを考えるにあたって少しは影響を受けているかもしれません)、「レシピ」には一般的に用いられる「調理法」という意味とは別に様々な意味合いがあり、これらを網羅するものとして、この言葉以外、タイトルを表現する言葉はないと思ったからです。
目次
レシピ(recipe)の語源と意味について
当サイトは「SEOのレシピ」と言いますが、外国語の「recipe」には様々な意味があります。
まずは、一般的に認知されている使い方で「料理のレシピ」という使い方。
要するに何かをつくるための「手順書」と言うこともできますが、もともとの「recipe」の語源はラテン語で、医師が薬剤師に材料の準備ができるように指示を命ずる「処方箋」の意味を持っていました。
そしてWikipediaに掲載されている内容を信じるのであれば、それが1740年頃から派生して料理用語の「レシピ」として用いられるようになったと言われているようです。
Weblio辞書のレシピの意味
一方で「Weblio辞書」によると「レシピ」は下記のように簡潔にまとめられています。
レシピ【recipe】
1:料理などの調理法。「レシピブック」
2:秘訣(ひけつ)。秘伝。
レシピには「調理法」とは別に「秘訣」や「秘伝」の意味があると言います。
そして、SEOのレシピのレシピには「秘伝」とは言わないまでも「秘訣」という意味も込められています。
全体を包括する大きな枠組みで捉えた場合の「レシピ」の意味
さらに調べていくと使われている業界によっても「レシピ」の意味は異なることがわかります。
カクテルでレシピというと、材料の「比率」やつくりかたの「手順」を示したものとなりますし、ある業界ではレシピというと、観察の目的に応じて「特定の条件を呼び出すための装置条件」を設定する言葉として使われているそうです。
つまり、大枠でとらえるとレシピとは「ある目的を達成するための手順と必要条件」のことを言っているということになります。
SEOについての「処方箋」×「手順書」=SEOのレシピ
実は、SEOのレシピと名付けた当初は「処方箋」の意味合いが強かったのが事実です。
そして結構安易な気持ちで、「SEOのレシピってキャッチーでオシャレだな」と思って名前をつけました。
なんとなく、気持ちの中で、ハマった言葉が「SEOのレシピ」。
そして、薬のように処方箋を記し、薬効成分のようにじわじわとSEOやウェブメディア運営で悩んでいる人たちの役に立てるコンテンツを作っていけたらと思い「SEOのレシピ」を立ち上げました。
今の時代、ウェブメディアを持つことができても、成果を掴むのは非常に難しい。
ウェブメディアをきちんと運営し続けるために必要となる手順や技術をのせた処方箋のようなものを伝えるメディアは持てないか。
それがそもそもの始まりです。
もちろん、メディアとして料理のレシピのようなものも意識していました。
つまり、SEOの説明書や手順書となるようなものです。
SEOはコンテンツの味を整えるための隠し味であり、調味料に過ぎず、用法や容量を守って、コンテンツを調整していく必要がある。
それを技術的な面で説いていく・・・という思いが強く、事実そうしたコンテンツを多く作成していましたし、当初は技術的な面にクローズアップしてコンテンツを作成していく目的で「SEOのレシピ」を立ち上げました。
>>>SEOはコンテンツの味を整える調味料のようなもの。役に立つコンテンツを作成することが高みに昇る術
技術的な面にばかり言及するサイトだと「色彩を持たないサイト」に
けれど、時間が経つにつれて、わざわざ私が今さら「技術」を解説していく必要があるのかと思うようになりました。
なぜなら、探していけば、同じようなコンテンツはたくさんあるし、それで「色」を表現するのは非常に困難に思えたからです。
技術的な面を淡々と伝えていくだけですとサイトのカラー、つまり「特色」を表現しづらい。
どこまでも無機質で「色彩を持たないサイト」になってしまいがちです。
そして、「色彩を持たないサイト」はすぐにコピーされて使い捨てられてしまう。
そうなるとサイトの存在理由が失われてしまうため、私のサイトのコンテンツを選んで来てくれる人がいなくなってしまいます。
私はSEOのレシピで他の誰にもつくれない、私にしかつくれない「色彩を持つサイト」を作りたいと考えていたので、これにはなかなかに迷いました。
語るべきことはたくさんあるのに、書けない。色が出せない。
複雑な色味を持たせたいのに、いつもどこかでみたような単色になってしまう。
既視感の塊。
実際にやってみて、なんとなく感触を掴めずにいたのです。
枝葉の部分の細かいところはやりながら後から調整していく
私は、ウェブに関しては何をするにしても2・3割くらいが決まったらあとはやりながら考えるようにしていますし、それは「ブログやサイトを活用して成功するために最低限抑えておきたい14のこと」という記事の中の「8:具体的なプランは行動しながら立て、改善を繰り返して引き寄せていく」でも書いたとおりです。
>>>ブログやサイトを活用して成功するために最低限おさえておきたい14のこと
しかし、これには本当に悩みました。
今までとは違う方向からの脳内アプローチが必要になりましたし、実感としては今でも確信は持てず迷っているところがあります。
けれど、これらはやっていくうちに、そしてこうして言葉に落とし込むうちに背景から表面に浮かび上がってくるものだと思っていますし、考えながら書き続けてることに意味があり、深いところまで井戸を掘っていけば、おそらくぴったりと条件に当てはまる水源のようなものにたどり着くものだと思っています。
幸運にも書くに値するテーマは見つかっていますから、あとはそれを深く掘り下げていけば、おそらく私の考える「色彩を持つサイト」になっていくのではないかと考えています。
まるで、一冊の小説を書くように、ブログを書き上げていこうと思い今に至る・・・という形です。
ただし、今回のアプローチは私にとってはじめての試みですのでどうなるのかはわかりません。
当サイトの「レシピ」とは「ある目的を達成するための手引書・必要条件」
一言で言い表すことは非常に困難ですが、SEOのレシピとは、ウェブメディアで特定の目的を達成するための手順書であり、また必要条件のことだと思ってください。
それにはもちろん技術的な面を含みますが、思想や考え方、メディア運営をするにあたっての向き合い方などの面も含みます。
私は以前は技術的な面を中心にSEOのレシピを運営しようとしていましたが、これを書いている現在地点ではトピックの中心となるものの方向性が変わってきています。
技術はそれをとらえる正しい「心」があってこそゆっくりと育つ
私の経験からお話ししますが、いくら技術を教えてもそれを正しくとらえるための「心」がなければ全く意味をなしません。
本人は確かな技術を身につけたと思っていても、そこに「心」がない限り、長くサイトを運営してそこから発生する利益をユーザーとあなたにもたらし続けていくことはできないものだと思ってください。
はじめに豊かな土壌があってこそその上に立派な作物が育つように、まずはなによりもはじめに「心」が必要になります。
つまり、技術とも言えるべき手引書や必要条件は「心」があってこそ身についていくものだと私は思っています。
ただ一方的に、技術だけを教えるだけでは、物事の表層に当たる「事象」の部分しかとらえることができないので、深いところにある「本質」にたどり着くことができません。
つまりどんなに良い「種」となる「素養」があったとしても、土の奥の方まで根を伸ばすことができず枯れてしまう。
「本質」をとらえることができずに「事象」だけに頼ると、それをゆっくりと育てる必要な養分を獲得することができない上に、何かあると簡単に倒れてしまうのです。
ウェブの世界を見渡せば、心がないサイトはたくさんあります。
自社の利益ばかりを考え、他者のこと、ユーザーのことをないがしろにしているサイト、そんなサイトは熱心に探さなくてもたくさんあります。
もっともらしいことを言っておきながら、コマーシャリズムに支配され、嘘ばかりをついてお金を巻き上げようとしてる業者はたくさんいますし、本質的ではないサイトはちょっと探しただけでも腐る程目にします。
それらをみてもわかるように「技術」だけ習得してもそれらを育てる「心」がないと意味がない。みにならない。
技術だけでは、心を持たないプレイヤーが増えるだけで、ウェブの世界はより一層殺伐とした様相をなしていく。
技術は心があってこそ、はじめて体の内部に静かに浸透し身につくものだと思っています。
「道」を照らすと同時に「心」を伝えるメディアでありたい
それに技術を中心に取り扱っているのは私のブログ以外でもたくさんあります。
それらの多くは、「ノウハウ」と称して世にたくさん出回っているように思いますが、それで一体どれだけの人が結果を出すことができたでしょうか。
もちろん、育まれる「心」を持ってしていれば、SEOのレシピなど読まなくても技術は自然と育まれていくものだと思います。
ただ、そうはいうものの、やはり「道」となる技術を伝えることは必要だと思っています。
だから「心」だけ伝えることに偏るわけではありません。
「道」を照らしながらも「心」を伝える。
なんとも難しい選択をしたものです。
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