お気づきの方もいるかも知れませんが、私は最近「装い」について調べています。
それも、時代を超えて脈々と愛されてきた男性の「装い」についてです(女性の「装い」は複雑で難しく、いまひとつわかりません)。
もちろん「装い」に興味があるから調べているわけですが、ただ、単純に「装い」について興味があるからというわけではありません。
そこから多くのことを学び取ることができるからです。
調べれば調べるほど「装い」から学べることは本当に多いと思うのです。
特にクラシックなもの、つまりは脈々と続く古典的な「装い」から学べることは本当に多く、基本ともいうべく一流の「装い」から学べることは本当に多いと思います。
アントニオ・ガウディのように起源に戻ること、原点に立ち返ることは本当に大切だと思います。
>>>アントニオ・ガウディ曰く「独創性とは起源に戻ることである」
目次
「装い」と「ファッション」の違い
私がここでいうクラシカルな「装い」は「ファッション」とは違います。
「ファッション」はどちらかというと、自由度が高く、流行があり、時代のある時を境にして流れて行ったり、その時代に生きる人々の気分や雰囲気などを象徴する着こなしのことを指すように思いますが、古典的な「装い」には決目られた「ルール」や「型」が明確に存在し、基本的には決められた「枠」から外れることを許されていません。
古典的な「装い」は「ファッション」のように自由で流れていくものではなく、決まり事が多いので堅苦しさもありますが、人々の間で長い間愛され、これからも変わることのない「装う」うえでの「基本」のようなものであり服を着こなす上で外せない軸のようなものです。
つまり、時代を超えて脈々と愛されてきて、さらにこれからの時代もスタンダードであり続けるであろう「服装の定義」のようなものを古典的な「装い」といっています。
そして元をたどれば現代の装いのルーツはイギリスにあります。
※時代を超えて愛されるものと、流行の違いについては「なぜ流行が生まれるのか?時代を超えて長く愛されるものと時代を象徴する流行の違いについて」を読み進めてください。
もちろんそうした古典的な「装い」もこれからも全く変わることはないとは言い切れませんし、実際、時代によって少しずつ変化していますが、「ファッション」よりも変化のスピードが遅く、それぞれの服装に置ける「着こなし方」は、「シチュエーション」ごとに厳格なルールとしてしっかりと定められています。
もちろん古典的な「装い」においても「ファッション」と同じように、時に着崩して着こなしたり、その決まりきった枠から時折はみ出し「型破り」な装いをすることもあります。
例えば今は男性の正装とされているタキシードは元を辿れば1880年代の夏に、ヴィクトリア女王主催の社交パーティーで、エドワード7世が燕尾服の尾の部分を切り取ったことが始まりだとされています。
それを見たアメリカ人のグリスワルド・ロリラード氏が国に持ち帰り1886年にタキシード・パークで「タキシード・クラブ」という上流階級の社交会を開催し、エドワード7世を真似た服装をし、後にそれがクラブの制服になり「タキシード」と呼ばれるようになり、ニューヨークを中心に広がっていったと言い伝えられています。
装いにも、時折そうした化学変化のようなものが生じそれが現代の「装い」につながっていくという面白い現象が起きています。
ただそうは言いつつも「ファッション」よりも自由度は少ないし、型からはみ出しすぎた「装い」は恥ずかしいものとされるところに大きな違いがあると思います。
「ファッション」と「装い」の個性の違い
「ファッション」と「装い」では個性の捉え方も違います。
「ファッション」は自分らしさや個性を、それを身に纏う服で表現し主張しようとしますから多少やりすぎても個性と捉えられ問題ないことが多いですが、「装い」は自分らしさや個性をどちらかというと抑え込み、それでもなお、押さえきれずにじみ出てくる雰囲気のようなものだと表現してしまってもいいと思います。
つまり「装い」では衣服としての違いを見せることを目的とせず、あえて主張を押さえ、それを纏う人自身を引き立たせる役割をします。
一見すると他人と同じ服装をしているのに、どことなくそこから溢れ出てきてしまう雰囲気が「装い」としての個性であると言ってもいいと思います。
だから「装い」として服を着こなすためには人間的な人としての魅力が必要になるし、ものの背景などの知性も必要になるし、現代という時代の背景をとらえる必要があったりします。
そうした基本をおさえた上で、また貫禄が必要になるので「装い」は、それなりの経験を積まないと本質的な意味で「着こなす」ことが難しいのです。
「装い」は「場」や「環境」で決まる
こうした古典的な「装い」が誕生する背景には「場」や「環境」が大きく関わってきています。
時のエドワード7世はヴィクトリア女王によって開かれた社交パーティーの会場がワイト島という別荘地であったことから、そのような一見するとルールから逸脱した「装い」をしたと言われています。
つまり別荘地なのだから、堅苦しい服装などせずにもっと動きやすく、気楽な格好でいようよという自らの主張を服装で暗に示したのです。
当時は昼間の明るい時間帯は「フロックコート」を着用し、夜は「燕尾服」が紳士の正式な服装と厳格に定められていましたから、だからこそ「場」や「環境」がエドワード7世の主張を後押しし、もっと暑苦しくなく気楽な格好に注目が集まったのです。
当時は現代のように何でもかんでも簡単にしたり簡略化すると言ったような「着崩す」ことが許されない時代だったと言いますから、それは本当に今考えられるよりも相当に勇気がいることだし、すごいことだったのだと思います。
でも本音を言えば、社交界に集まる人々の心の中には、やはりエドワード7世の装いのような簡略的な装いをしたいという思いが心のどこかに本音としてあったのだと言えます。
それをたまたま表向きに「装い」として表現し主張したのがエドワード7世というだけであり、だからこそ注目が集まり、決まり事に厳格な紳士の「装い」において、ルールに縛られていないエドワード7世のような「装い」がその場で着用されることが許されたのだと思います。
人間は本来なまけもの
ともすればこの時代を生きたエドワード7世のように人間は楽をしたい生き物です。
世の中の様々なものが、そんな人間の楽をしたいという欲望を叶えるために生まれてきたと言っても過言ではないと思います(良くも悪くも歴史を遡ると時代は脈々とそういう流れを組んでいます)。
先にあげたように古典的な「装い」もその流れをしっかりと汲み取っていますし、より堅苦しくなく楽に着られるように工夫が加えられたり、アメリカ人がつくる装いのようにどこかに無骨さが漂う楽で快適でいて利便性を追求した服装が時代とともに変化を加えられ市民権を得てきています。
ものとしての有用性から服装は生まれる
例えば、スーツは軍服の襟を倒して着たことから今の形になっているし、袖口にあるボタンもナポレオンが海軍の兵士たちが袖で鼻水を拭くのをやめるように横一周ぐるりとボタンをつけたことが起源だとされています。
シャツ(日本では「Yシャツ」と呼ばれるもの)に至ってもそうです。
先に言ったように、現在私たちが何気なく着こなしている紳士服のルーツはイギリスにありますが(着こなしているという言葉が適切かどうかはわかりませんが・・・)、その元となるイギリスではシャツには胸ポケットはつけません。
胸ポケットはシャツがアメリカに渡ったときに、戦時中にアメリカ人が付けたものです。
戦時中に物資が足りなくなった際、ベストが廃止され、すると、ベストに4箇所ついていたポケットがなくなり、それまでベストのポケットにしまっていたものをどこにしまうのか検討されました。
それではとアメリカ人がシャツの胸にポケットをつけたのです(彼らはなんでもかんでもそういう発想をします。じつにアメリカ人らしい発想だと思います。そうした意味での適当さが人間味に溢れるようで、時に格好良くうつるのですが・・・)。
そして、その時の名残りが今のシャツにも息づいているというわけです。
繰り返しますが、ドレススタイルに着用する元々のシャツには胸ポケットはついていません。胸ポケットなどなくツルッとしています。なぜならシャツは下着でありアカの他人に見せるのは恥ずかしい肌着であり、ものとして胸ポケットなどつける必要がないからです。
今の時代の感覚で言うとTシャツの代わりに、薄く肌が透ける肌着で外を歩くようなもので、薄く肌が透ける肌着にはポケットをつけないのと同じことです。そこにポケットをつけてもその上に何かを切るわけだし役に立たず嵩張るだけで意味がありませんから。
男性の古典的な装いの中には「できるだけ肌を見せない、肌は隠す」と言うルールが存在しますし、シャツであることは本来であれば私たちが思う以上に恥ずかしい行為だったのです。
それが戦時中の物資不足という環境的要因が重なり、下着であるシャツに胸ポケットがつけられ、その流れを組んで今に至っているという、ものとしての背景があります。
今私たちに伝えられている「装い」には、そうしたお国柄や時代の背景も関係しています(ものを知るのはその国ごとの気質を知ることにつながるし、本当に面白いと思うのです)。
日本では戦前(明治・大正時代の19世紀後半)はイギリスから直接「装い」を取り入れていたから本格的なものでしたが、戦後(第二次世界大戦後)、戦争に敗れた日本はアメリカの支配下に置かれることになり、そこからアメリカ的な「何か」が日本に持ち込まれることになります。
アメリカ的な思想には効率化や利便性を追い求める思想が見え隠れしますから、そこから世の中がおかしくなってきたように思います(それがいいか悪いかはおいておいて、歴史を学ぶと戦争に負けたことをターニングポイントとして日本という国の方向性が変わったのは確かです)。
行きすぎた簡略化や簡素化は本質を失わせる
ただ・・・その簡略化や簡素化、効率化、ものとしての利便性を高める流れが進みすぎると、ともすればそのものとしての本質を失うことに繋がりかねません。
時代の流れなのでしょう。テクノロジーの発達に伴って手間をかけずできるように、物事がどんどん簡略化、簡素化しています。その中には、簡略化すると、本質を失いかけないものまで含まれていたり、ただの見せかけだけで、非常にナンセンスな世の中になって来ていると思います。
衣服で言えば生地を「寝かせる」または「休ませる」ことをせずに高速織機を使い大量に縫い上げていく行為もその一つだと思います。
本来であれば長く着用することを前提とし丈夫で耐久性のある昔ながらの強い服をつくるのには、生地を寝かせ落ち着かせる工程が必要です。
必要な工程なのにのもかかわらず、現在のものづくりの現場における服は経済的な行為を優先し、大量生産するためにその工程を省いてつくられています。
昔ながらのいいものづくりをしていた職人は、こだわりや仕事に対しての矜持をを持った方が多いですから、そうした時代の流れに抗うことができず、ものづくりの現場から離れていきます。結果、どんどん人としての温もりがある技術が失われていく。
今の時代はここで挙げた化学変化的な現象とは違い「楽」をしたいばかりに、そのものとしての本質に目を背け何か人間的でいて大事なものを失っている気がするのです。
そしてそれらが冷たい機械的な「何か」に置き換えられようとしている気がします。
そこには、そのものであるための思想や哲学のようなものは存在しないし、ものとしての見せかけだけで、簡略化され、簡単でいて、みんな同じで違いをよしとせず、ものとしての歴史や成り立ちが失われ、何か一つのものにまとめられていくような変な時代の空気感を感じるのです。
昔ながらの人と人が顔を突き合わせて丁寧に一つのものを作り上げる質実剛健な意思を通わせるものづくりは失われ、より簡易的でいてその場しのぎのものに置き換えられようとしていると思ってもいいかもしれません。
一度失われた技術は簡単に取り戻すことができない
そうした簡易的なものは、今だけのもので一過性のものにしかなりません。
本質的な流れを汲むものづくりと違い、残るものがないのです。
大量に生産され安価で手軽に手にできるものは、末長く愛され続けるものにはならないでしょうし、一度失われた血の通ったものづくりは元どおりに戻るのに時間がかかります。
歴史が証明してくれていますが、一度技術が失われてしまうと2度と戻らない可能性だってあります。
いや、むしろ戻らない可能性の方が高いでしょう。
今の時代の空気感や後押しもあるのかもしれませんが、やはりそのものとしての本質は失ってはいけないと思うのです。
そしてそれを知るには、物事を知れば知るほどやはり歴史から学ぶ必要があると思うのです(だから最近の私は歴史からできるだけものを学ぶようにしているというのも理由としてあります)。
何よりもコストを優先し経済を優先する世の中の流れ
脈々と続いていた、本格的な生地を作り続けていたイギリスの機織名産地「ハダース・フィールド」はもはや壊滅的だといいます。
その工場にあるほとんどの機織機は効率化とはほどとおく、低速で織る為生産量が少ないもので、人の手が加えられないと動かせないものだからです。
そうした低速の機織機は非効率で、扱うのが簡単ではないし、職人の技術が要求される仕事のため、とてもコストがかかります。
「その人」だからしか、できない仕事がそこにはあるのです。
だから今の時代の空気感には合わず脈々と続いていた質の高い生地をつくる紡績工場がどんどん閉鎖しものづくりが停滞していってしまっています。そしてそれにとって変わられているのが大量生産が可能な高速織機だとききます。
すでにお話ししたように、良質な生地をつくるには生地や糸を寝かせるエイジングの工程を挟み、時間をかけて織っていく必要がありますが、大量生産の過程では、その工程も省き、より効率的に織られる技術にとって変わられていきます。
何よりも経済を優先し、必要な時間や必要なコストをかけずに、より少ない時間と資本で大量に効率的に織るためには、効率的な立場から見て無駄な工程はたとえ「意味」があったとしても必要ないと判断された場合は省かれてしまいます。
そうしてできたものは一見すると、同じ生地に見えますが、本来であれば必要な工程をすっ飛ばしてしまうため、やはり耐久性に乏しいものとなってしまうでしょうし、その場しのぎの、長持ちとは程遠い代物になってしまいます。
急速に失われる昔ながらのものづくり
今の時代、何もかも簡単にできるようにし、簡略的に効率化を推し進めていった結果、昔ながらの本質的なものづくりが急速に失われていってしまっているのです。
これが本当にものづくりの正しいあり方なのでしょうか。私は違うと思います。
この流れは我が国日本でも同じです。
日本においても、昔ながらも良質な生地をつくる工場は効率化の波に襲われ、どんどん衰退していってしまっています。
テクノロジーの発達はモノとしてのクオリティの低下を生む
また、聞くところによると、ものづくりの現場は、テクノロジーの進歩に従い、ものとしての質が低下していると言います。
テクノロジーが進歩しているからこそ、より質の高いものづくりができるはずなのに、逆にそれが失われていってしまっている・・・、これほどおかしなことはないと思います。
テクノロジーの発展によって確かな技術が失われ、さらにものづくりが衰退していっている・・・テクノロジーが発達して機械製品としてのレベルが上がっているのにもかかわらず昔のようにクオリティの高いものを生み出すことができない・・・これほどおかしなことはないと思います。
一体ものづくりはどこに向かっているのでしょうか。
時代とともに機械的な技術は進歩しているのに昔ながらの血の通ったものづくりが失われ、むしろ衰退していっているというのはおかしなことだと思いませんか?
まさに悪貨は良貨を駆逐するです。
>>>【コラム】悪貨は、良貨を駆逐する(悪いコンテンツは、良いコンテンツを駆逐する)
本質とはかけ離れ、コマーシャリズムに支配された媒体ばかりが目立つ世の中
この流れはウェブの世界でも同じです。
そこには血が通っていて人間的な暖かさが感じることができず、機械的でいて無機質な何かが存在します。
昔ながらの血の通ったコンテンツが失われ、何か機械的でいて、コマーシャリズムに支配された見せかけの情報ばかりがウェブの世界を席巻しています。
なんとなく時代の流れは、人間的でいて本質的な営みとしての何かが失われ、機械的でいて無機質な何かに置き換えられようと傾いていく方向にあるのです。
それが派手に脚光を浴び、きらびやかなモノだったりするから、また厄介なのです。
ウェブの世界はそのほとんどが広告業であると言っても過言ではありませんから、私も当然のことながら、その一角を担っていることは確かです。
ですが、プロとしての矜持をもちそのものとしての本質は失わないように努力しているつもりです。
だから自分なりの軸を持って仕事をしているつもりですし、その軸から外れた依頼には残念ながらお答えできないという回答をさせていただくこともあります。
私がそうしたプライドを捨て、お金のために何でもかんでも引き受けるという立場をとっていたら、富も名声も獲得できるのでしょうが私にはあまり関心がなく、また使い捨てのコンテンツや流されていきやすい、後には何も残らないような仕事をする気にはどうもなれないのです(そうは言いつつ、本当はちょぴっと頭をよぎる事があります(笑)だって、私も「欲」がある人間ですから)。
本質を失い続けるこの世の中において、プロがプロであるために自ら矜持を持ち、プロがプロであり続けることは本当に大変なことなのです。
人気のあるモノ売れているモノが正義なのか?
ビジネス的でいて経済的な考え方をすれば、売れているものが正しいしそれが正義だという見方をします。
私もある時期まではそれが正しいと思っていましたし、今でもその考え方がチラつくことがあります(というか呪縛のようなもので現実的に言えばそこから離れられないのです)。
実際問題として、売れているものや人気があるものは人々がそれを求めていることを意味しているし、それに従うことが経済を潤わせるし多くの人を助けるため正しいものという考え方もあります。
ただ、そこに何か違和感を覚えることも多い。
もしかしたらそうした、短絡的な考え方や結果が今の時代の殺伐とした空気感を生み出してしまったのかもしれません。
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