作家のスティーヴン・キングは、作家になるために必要なことは「たくさん読み、たくさん書くこと」だと言っています。
これについて、ウェブの世界で食べていけるようになるためにも同じことが言えると思っています。
つまり「たくさんの事例に触れ、たくさん発表する」結局はこれにつきます。
もちろん実際にそれを専門として食べていけるようになるためには、それなりの下地が必要になります。
これはどの業界でも同じことです。
ただ、そうしたものは、やりながら覚えて行けばいい。
極論すればそう思います。
実際、私のように業界に深くねざし(本当に根を貼っているわけではありませんが)、長年職業として食べていっている方々は、最初から「もうどこからでもかかってこい!相手のことは完全に熟知している!」という、万全の状態で参入した人は私の知る限り「誰一人」おらず、皆、何かこう、あ〜だ、こ〜だやっていくなかでそれぞれの課題を見つけ、行き当たりばったりで、それらをしらみつぶしに一つづつ解決していった結果、今に至るという人が多い気がします。
ただ、人は迷う。そうはいうもののやはり、何か「道」のようなものが必要になると思っています。
だからこそ、私は当ブログで何か「道」のようなものを記せて行けたらと思っています。
(余談ですが「役者」として、ふいに全知全能の神のような存在として業界に降り立ち一時の注目を集める方もいらっしゃいますが、そのような方は彗星の如く現れ、その名の通り消え去っていきます(笑))
目次
これからのSEOは論理や理屈ではないところで考える必要がある
私も当然のようにSEOのことなんて全くわからない状態でこの業界に参入しました。
けれども今では、メディア運営について相談を受ける立場になっています。
その多くは、プロとして食べていける人。
私自身は、SEOについて、そこまで詳しいことは知りませんし、またSEOについて誰よりも勉強しているとは思っていませんが、なぜかこんな私を頼って相談される機会が増えてきていますし、相談者の方が、実際目に見える結果として実力を発揮される機会も多くなってきています。
とは言っても、相談を受けた際、あなたが期待しているように特別何かしているわけではありません。
相手がプロであるから話は早く、多くのケースで「イエス」か「ノー」かの判断を迫られ、それに対して私なりの見解ということを述べた上で感覚的に「イエス」か「ノー」で判断しているだけです。
もちろん、感覚的に「イエス」か「ノー」か、それを判断するのは多くの場合、容易いことではありません。
それなりの知識や下地となる経験が必要となりますし、ある立場では「イエス」と言えることでも、逆の立場に立たされた場合「ノー」ということもあるからです。
それについては下記でも述べた通りです。
>>>共起語の使用は実はリスクが高い?SEO効果とサイトが飛んでしまうリスクについて
体が不調の際、体の調子を整えるいわゆる「薬」と言われるものは、なぜ、どのようにして、その成分が体の体調を整えるのかわかっていないことが多いと言いますが、SEOでも同じことが言えて、「論理」や「理屈」ではないところで物事を判断する必要があります。
論理や理屈で判断すると、道を外れてしまうケースが増えてきており、いかに経験と照らし合わせ、それを実戦として落とし込めるのかが一つの鍵となってきているのです。
それを最終的に判断するのはもちろん相談者の方ですが、様々な相談を受ける中で、私自身、そのメディアが取り巻く状況を見て、できるだけ忌憚のない意見を述べるようにしています。
プロであるからこそ、(相手との関係によって)率直に傷つくようなことをあっさりと言うこともあります。
とにかくはじめは、結果を焦らず諦めずに数をこなして発表する舞台に立ち続けることが大事
今思えば時代も良かったのかもしれません。
今よりもコンテンツの数は少なかったように思いますし、今のように、コンテンツに「求められるもの」も少なかったように感じます。
だから、私のような不慣れなものでもなんとかこの業界で生き残ることができたのかもしれません。
とは言ってももちろん、もののはじめからうまくいっていたわけではありません。
はじめからうまくいった方たちも一定数いましたが、私も多くの人と同じように、手を替え品を替えで、必死にそこで生きるための「手段」を模索してきました。
数々の実験場とも言えるべく舞台を立ち上げ、時に役者やピエロになりながら数をこなし、業界の息遣いを感じながら少しずつ業界と共に成長してきました。
何気なしにやったことが大きく当たるという機会(チャンス)が非常に増えている
ただ、一方で、今ほどチャンスで溢れている業界はないなと思うこともあります。
何せ、昔と違い、参入障壁が非常に低くなっており、誰でも簡単に手軽に情報発信ができて、今まで想像もしていなかったような職業で食べていける人が増えてきているように思うからです。
一つのカテゴリーの中でも何を専門とするのか、その選択肢が明らかに増えてきているのです。
YouTuberがいい例だと思います。
時代の後押しもあるのかと思いますが、彼らの中には、今まで世間一般でまことしやかに囁かれていた成功法則のようなものに当てはまらないものが大半で、なぜ、そこまでYouTuberたちのコンテンツが受けているのか、プロの目から見ると不思議にうつる光景が大変多いからです。
明らかにプロから見ても謎な部分が多いんです。
もはや論理や理屈で判断することが非常に難しい・・・というかできない。
だからこそ、YouTuberやインスタグラマー、ティックトッカーなどを見る場合、今までとは違う、何か別の尺度から物事を見る必要があるのです。
もちろんその下に流れる本質的なものは何一つ変わっていませんが、筋は大きく変化しているように思います。
つまり何が言いたいのかというと、今の時代は、とりわけ何が当たるのかわからない時代だということです。
論理や理屈よりも感性や感覚が必要となる時代と言ってもいいかもしれません。
何気なしにやったことが大きく当たるという機会(チャンス)が、これまで以上に確実に増えている。
まわりを見て確かにそのような実感を得る機会は多くなってきています。
ズブの素人でも、プロであっても関係ない。老若男女なんでもござれ。誰にもチャンスが開かれている時代。
それが現代です。
もちろん、長くその場に留まり続けるのには、それ相応の「資格」が必要になりますが、そんなものは後から身につけて行けばいい。多くの人と同じように。
勉強してからでは遅い。時代に取り残されてしまう。
少なくとも、今の私はそう思っています。
何よりも優先して「たくさんの事例に触れ、たくさん発表する」機会をつくる
そんな時代だからこそ、冒頭で述べた「たくさん読み、たくさん書くこと」、「たくさんの事例に触れ、たくさん発表する」がいきてくる。
今の時代、とにかくなんでも飛び込んでみて、そこで何か手応えを得たのであれば、そのまま続けていくといいでしょうし、もしも手応えがないのだとすれば、他の「道」を模索していく。
そうしたやり方の方が、物事がうまく運ぶ確率は格段に高まるのではないかと思っています。
私は、世に溢れている世間一般的なビジネスの成功法則は所詮「確率論」に過ぎず、ビジネスにおいてあらゆることは「運」や「巡り合わせ」による結果をそれらしく装うための後付けの理論であり、散文に過ぎないと思っていますが、とりわけ今の時代は「運」や「巡り合わせ」を引き寄せやすくなっているように感じます。
もちろん、何か物事を成し遂げるにはそれなりの「時間」と「根気」が必要になることは否定しませんし、実際多くのケースで「粘り抜く力」が必要になります。
けれども多くの場合、「実力」は後から勝手についてきます。
そして「運」や「巡り合わせ」はそこに飛び込まないと、「発表」しないと誰かの目に止まることはありません。
成功するために必要となる要素である「運」や「巡り合わせ」は相手の方から勝手に来てくれるわけではなく、舞台に立った上で注目を集め、能動的に引き寄せる必要があります。
その引き寄せ方はたくさんありますが、まず、何よりもあなたの存在を世間に知ってもらうことから始めなくてはなりません。
まずは飛び込み、「道」を模索することが筋
ウェブで生計を立てようと思った時、あなたはある意味においてウェブの世界における役者となります。
そして、役者はどんなに潜在的な実力があろうが、舞台に立たなければ評価されることはありません。
ウェブの世界では自らが設定した舞台に立ちユーザーからの評価を受けることが必要になってきますからあなたが活躍するための舞台装置をいちからつくって整えていく必要があります。
言わずもがな、ただ、指を加えてみているだけでは決して幕は上がりません。
何度も何度も失敗を繰り返しながらも、「道」を模索し、しかるべき舞台に立ち続ける必要があります。
あなたが歩いた後にはあなただけの物語が残る
そしてあなたが通ったその「道」はあなたの物語になり、後になって語ることが許されます。
そうしたあなたの物語に共鳴してもらうことで、聴衆はどんどんあなたのファンになっていくでしょう。
そんなあなたの物語を聴衆は聞きたがっていますし、語るべき立場になったのであれば、どんどんオープンにして語っていくべきだと思います。
それが「風の時代」と言われる時代の生き方だと思います。
別の言い方をすれば、「女性性」の時代だと言えるでしょう。
だからこそ、まずは恐れず臆せず飛び込んでしまうことを強くお勧めします。
一歩踏み込んでしまえば、素人にも十分チャンスはある業界ですし、現在の環境では、逆にプロよりも素人の方が融通が効くため結果を残しやすかったりします。
だからこそ、一歩踏み込むなら今だと私は思っています。
もちろん、これは本心です。
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