人はともすれば、自己の利益を求めて考え、判断し、決断を下します。
それは個人であっても企業であっても同じことです。
そしてこれは商売においても同じことで、商売をする以上、個人でも企業でも自らの市場においてあらゆる手段を尽くして独占状態を目指しますし、時には国や役人と結託して法律を変えてまで、それを貫き通そうとします。
そして、皮肉なことに、歴史を見てみれば、自らの利益を追い求めていった結果、やがて自らの市場がとり尽くされ長い時間をかけて育ったものが瞬く間に破壊されていってしまうのです。
目次
今のGoogleのアルゴリズムは間違いだらけ
今のGoogleは何か迷走をしているような気がします。
何か裏で「金銭的な何か」が動いているのかどうかは知りませんが、数年前の状況と違い現在は、Googleが指定した利害関係のある特定の企業に権益を与えるようなシステムになってしまっているような気がするのです。
Googleの全体的なアルゴリズムの傾向として、個人の自由な経済活動を認めず、特定の企業に依存したり有利になる方策を取っているような気がするのです。
特に特定の領域(※)においては、ことさらその様に感じます。
放っておけば、あらゆるものは商業的になっていきますから、Googleのアルゴリズムもこれと同じように商業的な色を帯びてきてしまっているのかもしれません。
私たちは企業が発信する広告を見たいがために検索窓にキーワードを入れて検索をするのではなく、確かであって十分な知りたい情報を得たいがために検索をするのです。
もちろん数年前と違い有象無象入りまじった様々な情報が散在していますので、一つ一つのコンテンツに対して、適切な評価を下し、それぞれに見合った解決方法を見つけ出すのは難しいと言えます。
ただ、それを踏まえても、現在のGoogleは何か利己的な何かに縛られ迷走しているように感じてしまうのです。
※特定の領域については下記リンク先の項目「Googleのサイトやコンテンツの評価基準について」を読んでください。
大企業の言うことは正しいと言う勘違い
今のGoogleは大企業やその道の権威がある人の言うことは正しい、きちんとしたエビデンスがある。大企業やその道の権威が発信している情報は何でもかんでも信頼に値する情報であると言うとんでもない勘違いをしてしまっています。
そこに自分たちの都合のいいように「権威性」だとか「専門性」とか「信頼性」などをこじつけて、さもそれが正しいものであるかのように振る舞い、勝手に拡大解釈をし、政府が特定の主義や思想に誘導するプロパガンダのように正しいものとして広める担い手となっていってしまっています。
今のGoogleはそれ自体が大きくなり過ぎてしまい、独占状態にありますから、そこには内外部において様々な既得権益が関わっており、また様々な立場であったり思想を持つ社員がたくさんいるでしょうから、知ってか知らずかしていつの間にか自分たちの都合のいいようにシステムを書き換えていってしまっているような気さえします。
実は、人々が思っているほど、大企業や権威のある人が発信する情報というのは信頼できるものではありません。
大企業の発信する情報こそ、ともすると利己的なものが多く、多くの場合はそこに商業的な匂いを漂わせているものが介在しているきらいさえあります。
実際、大企業が発信するコンテンツを見ていると、間違った情報をさも本当のことであるように垂れ流しにしているメディアも散見されますし、自分たちの都合のいいように解釈し(不都合な点は隠し)、確かな情報として広めていってしまっている傾向があります。
多分そのような情報を垂れ流しにする企業はウェブのコンテンツ作成において、ほとんどのケースにおいて信頼にたりうる特別な検閲が入っていないのだと思います。
まさしく大企業らしい、利己的でいて、大量生産、大量消費の方策です。
もちろん大企業ではなく、権威と呼ばれる方々が発信する情報も全てを盲信して鵜呑みにしてしまうのは危険です。
彼らが発信する情報は「事実」であってもそれが「真実」であるとは限らないからです。
権威を後ろ盾にして多少なりとも発言に影響力を持つ様になると、語弊を恐れずに言えばそこに目をつけた偉い人から都合の良い様に働きかける様にお金が動くことがあるからです。
だから、それが本当に信頼に値する確かな情報だったらいいのですが、一概にそうとは言えずに、一方の立場に都合の良い様に発言したりして広めて言ってしまうのです(利益相反の関係です)。
つまり権威のある人でも「お金で動く人」と「そうでない人」にはっきりと分かれており、それは置かれている立場や状況によって大きく変わってきます。
そして、現在のGoogleアルゴリズムにおいてはそうしたメディアがこぞって検索ランキングの上位に君臨していたりします。
※世間一般的には、大企業が発信する情報は間違いない、個人に寄ればよるほど情報の信頼性は怪しくなると解釈されている傾向にありますから、現在の人気投票によるGoogleアルゴリズムでは、そのシステム上、大企業のコンテンツに偏っていく傾向は仕方のない事なのかもしれません。
※例えば今最大の旬の話題で言えば、コロナ関連の情報がそれにあたると言えます。コロナ関連でテレビに出ている医師の中には権威ある肩書を持った人が多いものですが、テレビに出る権威のある人たちは製薬会社からお金をもらい、利益相反の関係で動いていることがママあります。
調べてみたら、このことについては「利益相反の調べ方(外部サイト)」に詳しく書かれている様ですので気になる方は読んでおくといいでしょう(私なんかが説明するよりも断然よくまとめられています)。そのまま全てを盲信して情報を鵜呑みにするのは危険ですが(情報が偏ってしまうため)、自分の頭で考え、何が正しいのか、今何が起きているのかを判断するための材料を得ることができると思います。
あらゆるものは放っておけば商業的になっていく
ともすれば、放っておくとあらゆるものは商業的になっていきますから、そこには利己的な「何か」が介在してきます。
大企業にもなれば、たくさんの社員を抱えるので、自社の製品のいい面ばかりを見せたり、事実を歪曲して伝えることで自社の製品を販売する行為も普通に行うこともあります(そう言うこともある)。
例えば、SDGsという名目のもと、全体として革製品をそれに似せたもの(環境面に配慮する合成皮革PVCなど)に変えようとしていますが、それに似せたものは地球の裏側から大量の石油を燃料として用いて船便で届けるという矛盾もそれに当たります(謎や矛盾を抱えているのです)。
また、SDGsという名目のもと、プラスチック製品を排除し代替品として紙製品にするということもそうです(ちょっと前までは紙製品は環境破壊だと言われていました。このことについて詳しく調べていないのでなんとも言えませんが、生分解性のプラスチック製品(微生物の働きで水と二酸化炭素に分解されるプラスチック)を代替すればなんとかなるのではという謎も残ります)。
そしてそれはエビデンスなるものと一緒に提示され、さもそれが真実であるかのように振る舞います(本当はある条件下においての実験結果や偏った立場に基づいた証拠に過ぎないのにもかかわらず)。
そうしたものを見ていると、なかには倫理的にどうなのだろうという情報もありますが、以前も述べたように大企業で上に上り詰める人は狂った人が多いものですし(仕事人として難しいことを考えずに任務を全うするし、仕事人として優秀という意味です)、何が正しいか、社会的に(倫理的に)正しい行いをすることよりも何よりも会社としての数字を上げることが至上命題になっていくから仕方のないことなのかもしれません。
(上から数字を上げるように叩きつけられ、数字をあげたものこそが正しい行いをしているし評価をされ、会社内での地位や立場が上になっていくシステムになってしまっているので仕方がありません)
本当のこと(倫理にかなっていること)を言っていれば数字をあげられるほど世の中は単純ではないし、むしろ本当のことを言ってしまうと数字を上げることができない機会の方が多いケースがどうしても生じるからです。
(この辺りはとても複雑で難しくややこしい問題が絡み合っているのです)
世の中は正しいことや、本当にいいことだけで経済を回していけるほど人間にとって優しい社会ではありません。
むしろ嘘で塗り固められたある種のファンタジーとも思えるような派手なものに人々は飛びつくものですし、そうしたものに望みをしるし、またそれを楽しみ、消費をする傾向にあるように思います。
やがては市場は信頼性を失い、隆盛を極めた市場は衰退していく
もちろん個人や中小企業が発信する情報の方が正しいということが言いたいのではありません。
個人や中小企業であっても適当な情報を垂れ流しにしているコンテンツはものすごくたくさんありますし、むしろ大企業が発信する情報よりも適当でいて質(たち)の悪い情報もたくさんあります。
またはじめはいいコンテンツをつくっていたのに、市場が荒れてきてしまい、存在感を失うことで当初の大義名分を失い、違いを見せるためにハイプにシフトしていくコンテンツもあります。
その多くは、そこの市場に旨味を見つけた資本力のある企業が参入してくる事によって、そして自身の存在が脅かされることで起こりうるのですが、大企業はそうした市場への影響を顧みず自己の利益のために、儲かれば良いという思想のもと市場を席巻していく傾向にあります。
現在の資本主義社会において、より多く富を引き寄せたものが正義であるし評価される社会であるからです。
すると市場全体の信頼性を失い、やがて市場が破壊されていく・・・。
これはウェブの世界だけではなく、様々な市場で言える事ではないでしょうか。
※補足:誤解のないように伝えておきますが、私は大企業をただ単に否定しているわけでもないし全てを一緒くたにして「悪である」といっているわけではありません。
ただ私が言いたいのは、大企業や権威のある人はただひたすらに思うがままに自己の利益を追い求めるのではなく、その社会的責任と存在意義を自らにとい、他人のもの(コンテンツ)を盗み市場を荒らすのではなく、巨大な資本力を持ってして新たに市場を創出し、前を行くものとして存在感をそれとなく示して欲しいと思っているのです。旨味を見つけてその市場をとりにいくのではなく、いわゆる「住み分け」をしていただいた方が、社会的にも発展していくのに、社会的に弱い立場であるモノの気を削ぐ様なことはして欲しくないと思っているのです。
>>>なぜ不景気になるのか?現在の金融システムの問題点とゴールドスミス・ノートの理論について
モラルハザード的な資本主義は瞬間的には利を生む様に見えるものの、長期的に見ればこれまで築き上げてきた文化を破壊する絶対悪でしかないと思います。それが言いたいのです
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