何かうまくなりたい、上達したい、それに対する解はいつの時代も変わりません。
それは、まずはそれについて圧倒的な「量」をこなすこと。
そして、どこかで「質」への転換をはかること。
どんなにテクノロジーが発達して人々が賢くなろうが、「量をこなして質をとる」それこそが上達への近道であり、ものごとの原理原則です。
そこで今回は、私のように自分でメディアを持ち、生計を立てるためにはどうしたらいいのか、少しだけそのヒントをお伝えします。
目次
書くことからはじめよう
まずは「書くこと」です。
下手でも何でもいいから書くこと。
全てはそこからスタートします。
勉強から始めてはいけません。
まずは「量」をとり、できるだけたくさん「書くこと」からはじめてください。
検索エンジン経由のサイト運営で勝負したいのであれば、SEOの知識は必要となりますが、そんなことよりもまず「書くこと」そして「発表すること」を優先してください。
>>>サイト運営で食べていくために必要なことは「たくさん読み、たくさん書くこと」
SEOは検索エンジンで上位表示させるために必要な知識ですが、SEOに関しては年々Googleの性能が(ある意味では)良くなってきていますので、SEOををあまり気にしないで書いても、ある程度のところまでアクセスを伸ばすことができます。
もちろん商用化していく際にはSEOの知識やウェブに関する物事のレベルを上げていく必要がありますが、最初のうちは、まずは書くことに慣れることから始めていくといいと思います。
そして同時進行でわからないことはGoogle検索をしてみるなど、ウェブに点在する様々なメディアに積極的に触れるようにしてください。
まさしく、「たくさん読み、たくさん書け」です。
眼を養い手を練れ
最初の1ヶ月くらいは思うがままに突っ走って構わないでしょうが、簡単に「書くこと」と言っても、ある程度進んだところで必ず限界が来ると思います。
そうしたら「良いもの」を模倣してください。
簡単にいうと「良いコンテンツ」をそのままコピーし、必要な技術をあなたのレベルに合わせて習得していってください。
今後必要となる技術的なものはもちろん、それについての基本や背景にある思考や考え方に触れることで「そのものの本質」を掴む手がかりとすることができます。
良いコンテンツをたくさん見て、たくさん模倣し、たくさん研究して、その知見を言葉ではなく感覚的に掴んでいってください。
あなた自身のものとなった感覚は、経験値として残されるので嘘はなく、言葉と違い裏切ることはありません。
ただそこで書いたものはウェブにアップしてはいけません。
人様のものを模倣するのですから、それは個人で楽しむ場合や、勉強をするための利用に限ります。
この一点だけは必ず守ってください。
「読むこと」と「書くこと」は違う
文章は目で追って読んでいるだけでは、その人の書く言葉の並べ方、文章の構成の仕方、リズムなど細かい部分、いわば「背景にある何か」は絶対にわかりません。
不思議なことに、ゆっくりと考えながら同じことを書いてみることで、はじめてわかる背景や側面というものがあります。
言わずもがな、実際に同じことを追って書いてみると様々な発見があることに気がつくと思います。
建築家の宮脇檀は「眼を養い手を練れ」と言っていますが、まさしくその通り。
たくさんの良いものを見て、眼を養い、手を動かし鍛錬を積むことで物事の本質に近づくことができます。
どんな技術であれ経験として蓄積される細かい技術は言葉にすることが難しく、感覚的に捉えていかないと物事の背景に潜む本質を掴むことができません(逆に言葉に頼っている人には、そこに嘘が含まれている可能性があります)。
絵でも文章でも、スポーツでも、読み書きでさえも「模倣」はすべての基本であり、真似ることで感覚的なものとして吸収して学んでいってください。
私も、このことを私の師とも呼べる今は亡き人に教わりましたが、これを昔は「まねぶ(学ぶ)」と言っていたそうです。
一字一句、漢字はもちろん、句読点の位置からスペースの位置まで同じように書き記していくことがポイントです。
ただし、必ずしも、筆や鉛筆を使う必要はなくパソコンやスマホのフリック操作で淡々と文章を入力していくやり方で構いません。
私の経験でも、過去、何度も優れた人の文章をそのまま書き写し、その人の持つ文章の「リズム」や「背景にある何か」を探っていた時期があります。
もちろん、いまだに気になる文章があれば、パソコンのメモ帳を開き、その文章をそのまま打ち込んで自分とは何が違うのかを探ることはあります。
様々ないいものに触れ「眼を養い」、「手を練れ」ば、自分に何がたりないのかを身をもって感じ取ることができます。
最初は手取り足取りのよちよち歩きでも、多くの良いものを見て、手を動かし続けることで「ものの理(ことわり)」をゆっくりと捉えていってください。
そして、そうした「型」を自分のものとして吸収することで、はじめて、その後に続く個性が生まれてきます。
いわゆる「個性」は「模倣」から生まれるものですし、模倣をする必要がなく、はじめから、磨かれた状態で、何も考えずにできるのは天才などの天賦の才能を持っている方だけです。
私を含む一般的な人は、何度も何度も優れたものを真似て、型を知り、技術を習得し、感覚的に体に叩き込んでいく必要があります。
そうしたことを半年くらいも続ければ、大体、書くことについての感覚が掴めてくるかと思います。
話し言葉でさえも、実際に書いてみると様々な発見があります。
例えば、タレントの島田紳助さんは、漫才を学ぶ時に、ウケている漫才師の言葉を、一字一句、紙に書き写すことから始めたと「紳竜の研究」というDVDで語っています。
それを「漫才の教科書」とよんでいました。
これに倣って、私もM1出場者の漫才を試しに文字として書き写したことがありますが、私のような漫才素人でも様々な発見がありました。
例えば、耳で聞くとさらっと流してしまうようなことでも、文章に書き直して眺めてみると全体の「筋」を理解するのに必要なことがあったり、お互いのやりとりから生まれる「テンポ」の違い、「間」のとり方など、非常に緻密に計算されて3分間の「ネタ」がつくられているのだと感じました。
これは神技ともいえるものです。
また漫才は、島田紳助さんの言うように音楽の要素が密接に関係していて「リズム」「テンポ」「トーン」などが必要になることにも驚かされました。
つまり、全く同じ「ネタ」でも漫才師によって面白くなることもあれば、面白くないこともあるのは、これらの要素が密接に関係しているためです。
これは実に面白い発見だったと記憶しています。
書く量をこなして質をとる
続いてある程度の「量」をこなしたら、必ずどこかで「質」に転換していく必要があります。
半年もやれば大体の基本はできてきていると思いますので、ここからは「質」へ転換することにしてください。
「質」への転換とはつまり、きちんと形を整えていくということです。
今まではいわば自己流でしたが、そこから「筋」を知り、きちんとした「知識」をもとにコンテンツと向き合うようにしていってください。
ここではじめて勉強らしい勉強をしていくことになります。
私のサイトを見てでもいいですし、良いサイトはたくさんありますから他の方のサイトで勉強をするのもいいでしょう。
そうやって、やりながら「やり方」を少しずつ変えていってください。
そして少しずつでも構いませんから覚えていってください。
テストのために勉強するというよりも、テストをしながら、もしくはまずはテストをして間違えたところや、わからない部分を学んでいくというやり方です。
自分が不足しているところや、たりない部分を必要に応じて勉強すると言ったやり方の方が今の時代、あっています。
量から質への転換は必ず必要
この段階でうまくいっている方々も必ず「質への転換」は忘れないでください。
「量」を単純にこなすだけでは、いずれは限界が来るからです。
つまり伸び悩む。
スランプに陥らないためにも、必ず「質への転換」は、はかるようにしてください。
はじめは見えなかったけれども「量」をこなしたからこそ、見えてくるものというものがたくさんあります。
結果が出ていたら、結果が出ているなりの理由はありますし、結果が出ていないのであれば、結果が出ていないなりの理由がどこかに必ずあります。
「量」から「質」に転換していくにあたって、それを探り、そのクセを修正していきます。
そうやって角度を高めていきます。
「量」をこなすことから「質」と向き合う方向に転換していくにあたって生じる「クセを修正」していく作業、ウェブライティングとして角度を高めていく過程は、大変厳しいものですが鍛錬に鍛錬を重ねることでまた新しい世界が開けてきます。
でも、どうか楽しみながらしてください。
楽しみながら書く。
これにつきます。
もしかしたら、深い霧の中を感覚だけを頼りに手探りで進むような気持ちになるかもしれませんが、そういうものだと思ってください。
私のように、毎回苦しみながら書いてもいいですが(笑)、そんな私でも言葉を紡ぐ背景には、必ず頭の中の考えを言葉にして落とし込み、自分の文章としてまとめていく「楽しみ」があります。
そしてある意味ではそれを楽しんでいますし、自分の考えをきちんとまとめることができたときや、良いものができたときは、自然と頬が緩みます。
書くことに対して、計り知れない苦労はあるものの、生来、書くことが好きなのです(多分多くの人と同じように「面倒だな」とか「気が乗らない」ということは多々あります)。
上達への近道は、眼を養い手を練り続けること
大事なことなので何度も言います。
今は亡き建築家の宮脇檀の言葉を借りれば「眼を養い手を練れ」です。
たくさんの良い事例にふれ、眼を養い、たくさん練習して(書いて)その「筋」を感覚として捉えて技術を習得していくのです。
本物になるためには、あなたの感性を通して、たくさんの良いコンテンツに触れて、コンテンツに対する考え方や向き合い方を学び、常に自分を律して自分を高めていく必要があります。
言ってみれば当たり前のことかもしれませんが、これができてない人が多い。
みな自己流の型破りな方法にのみ心をとらわれ、独自のやり方でやってしまい、またそれに固執してしまっているように思います。
型は知らなければ破れません。
型を知るからこそ、「型破り」は生まれます。
型がないものが型を破ることは揶揄して「形無し」と言われます。
型を知って、独自のものとして発展していくからこそ「型破り」が起きるのだと心得てください。
つまりまずは良いものに触れて、基本をおさえることが大事です。
基本が全てだとは言いませんが、基本がないとその上に積み重ねることができません。
基本を知らなければ、その上にたつものはしっかりとしたものにはなりません。
建築物でもしっかりと建物を支える基礎をつくるからこそ、その上に立つ上物は強固なものとなっていきます。
多分、これは世の原理原則なのでしょう。
型を学ぶと個性がいきてくる
こんなことを話すと、それじゃあ皆同じになっていくじゃないかと反論する方もいます。
もちろんある一定のところまでは同じようにはなります。
ただ、人にはそれぞれに「感性」というものが備わっています。
つまりある一定のところまでくると、それが模倣だとしても、「自分のものとしての模倣」になかば勝手に派生していきます。
だから「模倣」の背景には「個性」が育まれており、その果てに実は「個性」が生まれます。
不思議なことに物事はどうやらそうなっているみたいです。
経験としてそう思います。
・・・・
かなり省略して伝えていますが、私は少なくとも、そうやってウェブで食べれるようになっていきましたし、以上のように学んできました。
それは今でも変わりません。
何かが学びたいことがあれば、まず恥ずかしがらずに真似てみるようにしています。
もちろんそれが本物だという場合に限りますが・・・。
漫画家の手塚治虫も、良い漫画絵を見つけると嫉妬し、模倣に模倣を重ね「筋」を学んでいったと「ものの本」に書かれてあったと記憶しています(タイトルは忘れました)。
つまり、偉大な漫画家となった後でも、常にその書き方を模索し続けていた。
それが手塚治虫の凄さであり、才能のある人が才能に溺れず、努力を惜しまずにいたからこそ後世に残る漫画が生まれたと言えます。
そして、ウェブを利用すれば、そうした苦労の果てに、鍛錬に鍛錬を積み重ねた先に、私のような、他人からみれば自由な人生が待っています。
何せ、つくったコンテンツを一旦ウェブにアップすれば、勝手にアクセスが集まり集客できるからです。
手塚治虫については、業界から様々な意見があることを知っています。ただ、そうした事実を鑑みても偉大な漫画家だということは変わりません。
例えば今のアニメ業界のシステム(低賃金、重労働など)をつくったのは手塚治虫だと言われており、それらのシステムに後に残されたものは振り回されてしまっているという現実があります。
終わりに:
私自身は自分のことを自由だと思っていませんが、周りから見れば、自由に見えるみたいです。
いつも、どこで何しているかわからないと言われますから(笑)
どこかで仕事・・・してるんですけどね。
全然、自由・・・ではないんですけどね。
確かに最近は仕事をセーブしていますが・・・。
ちなみに「自由」を手にしたものが、新しく手に入れるものはなんだか知っていますか?
「責任」です。
実は「自由」と「責任」は表裏一体のものです。
切っても、切り離せない関係で、どこまでも追いかけてきます(笑)
これは今後、あなたが経験して確かめていってみてください。
追記:「書くことについて」
作家のスティーヴン・キングは著書「書くことについて」で、書くことは時間軸を超えられるテレパシーのようなものだと言っていますが、私もそのように思います。
私にとって過去となる書いている時間帯を超えて、今、この文章を読んでいる未来のあなたにこうして伝えることができているのですから、テレパシー以外のなにものでもない気がします。
追記2:なぜSEOは勉強してはならないのか
私はSEOは勉強してはいけないと主張し続けていますが、過去、これに関して私は下記のように話していたようです。
「話していたようです」と言っているのは、この記事を書く際、書いたことを忘れていたからです。
過去と言っても、2ヶ月くらい前の話なのですが(笑)(こういうこと、たまにあります)
>>>物事の「筋」を知り、原理原則に従い、物事をシンプルに捉える
SEOうんぬんというよりも、リンク先に書いてあるような意識を持って取り組むことが何よりも大事だということを忘れないでください。
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